第17回自句自賛 ― やさぐれ志願
【本日の季題】 「時雨」…冬に降る物と言えば雪と時雨
【本日の調理法、あるいは俳句ルールへのぼやき】
今回の句を割烹のお品書き風に紹介するならば、本日の料理「やさぐれの時雨煮、本意をふまえて」とでもなるだろうか。
また新たなドアが開いてしまったのである。
どうやら僕は季語だ季語だなんて言いながら、季語を軽く考えていたようだ。これまで歳時記を開いても、言葉の意味と季節を確かめるくらいしかしてこなかった。ところが季語には“本意”なるものがあって、俳句はそれを理解したうえで詠まねばならぬものなのだそうだ。
季語とは、俳句を詠みそして読むときの、いわば共通認識だ。その認識の中には、単に季節感だけでなく、それをもとに何を詠むのか、どう詠むのかまでがふくまれるのである。
たとえば何を詠むのかで言えば、冬の季語に“日向ぼこ”というかわいらしい言葉があるけれど、それは人事・生活に分類される季語なので「雀が~」や「野良猫が~」のように人間以外に用いてはならない、との共通理解が俳句界にはある。
また、どう詠むかについては、うそっ秋じゃなくて夏の季語だったのと皆が驚く“涼し”を例にあげると、見つめるべきは気温ではなく気分なのだ。「あつしあつし」と門々で声のあがる中、打ち水して涼風を呼びこむ、その心が“涼し”なのである。能動的に求め、見出すものとして詠まねばならないのだ。
そうした諸々をふまえて、季語として選ばれた言葉に期待される“狙い”を理解することが、本意を知ることだと言えよう。
なるほど。奥が深いや。
ただなぁ、本意が大事なことはわかったし、理解を深めてゆこうと思うけれど、たまにはちょっとズラしたり、ひねったりするのもありにしましょうよ。やっぱり猫の日向ぼこなんてあんなほっこりするもの、詠みたいじゃない。それに兼好法師だって言ってますよ「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」って。
でも、今回はゴネません。おとなしく本意に沿って詠みます。
じゃあ“時雨”の本意とはなにか。
まずは言葉の意味から。冬の初め、にわかに降りだしたと思ったらサッと上がり、また降るような雨のことを言う。ふむ。
次に、いつごろ季語と認められ、古典ではどのようにあつかわれてきたのか考証しないと本意にはたどり着けない。なにごとも歴史的文脈をふまえることが大事なのです。
へえ、『万葉集』にはもう三十数首詠まれていて、そのころは旧暦九月から十月にかけて、つまり晩秋から初冬に降る雨を指したのか。そして、その露が木々を色づかせるとの想像から、紅葉と共に歌われることが多かった。また、悲しげな風情を涙に見立てて、衣の袖や袂とも取り合わせられた。
そうした流れを中世宮廷歌人たちが引き継ぐ中で、時雨の本意を最も的確にとらえたと言われる和歌が生まれる。よみ人知らずとして『後撰和歌集』に採られた、「神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける」だ。
降ったり降らなかったりの定めなさ、浮き沈みする人生のごとき無常観こそが時雨の本意なのである。
そういえば、「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」と詠んだ芭蕉だって、得意の絶頂から奈落の底に突き落とされるアップサイドダウンを経験しているものね。
やがて時雨は初冬限定の景物として定着してゆくとともに、奈良京都や能登など山を背にした地域に起こる特定の気象現象から、たとえ関東平野であろうとサロベツ原野であろうと初冬のにわか雨なら全てそう呼ばれるよう変化していった。
なるほど、なるほど。
では、本意をつかんだうえで実作といきましょう。
【俳句】 「時雨」で一句
「競艇はジャラ銭戻す夕しぐれ」
【句の背景あれやこれや】
やさぐれてみたかったのである。
僕は「憂い」にあこがれる、おかしな子どもだった。きっかけは、ひどい風邪をひいて小学校をしばらくお休みする間に見たテレビドラマ『ムー一族』だ。久世光彦の演出は、下町ホームドラマにコントが唐突に挿入されるアヴァンギャルドなもので、演者たちが時に自然に、時に仰々しく歌うのが印象的だった。
劇中、終盤になると毎度登場する小料理屋がある。由利徹や左とん平がやり取りする横には、酔いつぶれてカウンターに突っ伏す酔客が数人。その間にギターを抱えた日吉ミミが腰かけていて『世迷い言』を歌いだす。そしてラストの決めフレーズ「上から読んでも下から読んでもぉー」をためた所で、ノびていた酔客らがフッと顔を上げて「よのなかばかなのよーっ」と合唱して、またガクンと酔夢へもどってゆく。
僕はそれにシビれた。だらしない酔っぱらいたちが、なぜだかかっこよく見えたのだ。どうして? そうだ、この人たちは理不尽な世の中に耐えているのだ。憂いを背負っているのだ。それが大人なのだ。
それからというもの、僕も早くお酒が飲めるようになって大いに憂えたいと願うようになった。でも願ったところで、小学生が小料理屋でぐでんぐでんになれるわけもなく、くやしい思いだけがつのっていった。
そんな中、高畑勲監督のアニメ『母をたずねて三千里』を見てしまったのである。主人公マルコは、出稼ぎに行ったきり連絡の途絶えてしまった母親を探しに、イタリアからアルゼンチンへ渡る。旅は不運と苦難の連続で、そのたびにマルコは投げやりになってヤケをおこすのだが、中でもそのやさぐれっぷりが目にあまる回があった。例のごとく「もうダメだ。母さんになんて会えないんだ」とあきらめてしまったマルコは、陰鬱な表情になり……ジャケットの襟を立てたのである。それに僕はまたやられてしまった。憂いだ。ここに憂いがあるぞ。襟を立てただけなのに。
マルコは背中を丸めて歩きだし、居酒屋へ入って行く。室内でも襟を戻そうとしないマルコは、カウンターに腰かけて、低く「ミルク」と言う。なんと完璧なやさぐれ。僕は自分を恥じた。おなじ十歳そこそこで出来ている人がいるのに、簡単にあきらめてしまうなんて。
それから僕はシャツの襟を立てて着るようになった。でも女の子たちから「なんか感じ悪くなったね」と言われて、やめた。僕はあくまで憂いを醸したいのであって、感じ悪くなりたいわけではないのだから。
そんな愚かな僕でも、大人になるにつれだんだんと理解していった。悲しみや憂いは自然と背中に積もってゆくもので、それをこれみよがしに見せるのは大人ではないと。
そのように憂いに対しひとかたならぬ思い入れを持つ僕が、もし「最高に憂いを帯びた俳句は?」と問われたら、迷わず次の句を挙げるだろう。
「奥そこのしれぬさむさや海の音 哥川」
哥川は江戸中期の人で、越前は三国湊の遊女だった。当時、三国は北前船の寄港地としてにぎわい花街が形成されたのだ。
そんな北陸の遊郭で春をひさぐ女の詠んだ句なのである。三国と言えば、東尋坊で知られるように波が荒い。海沿いの宿に泊まれば、夜通し波の音を聞くことになる。そして激しく降る雪。山地ほど積もらぬとはいえ、年に幾度かは大雪がある。
改めて句を読み返すと……昏い海に冷たい雪が降る。芯まで凍えるようなこの寒さは、心の奥にくすぶる癒えることのない哀しみからくるのか。そしてまた海が鳴る。
哥川の句で、自身の心の内を見つめたものをもう一つ。
「春雨や心のおくのよし野まで」
彼女は幼いころ、吉野から三国に買われてきたといわれる。吉野はふるさとなのだ。おぼろげな春の雨に心は溶け、花盛りの吉野へと飛ぶ。二度と帰ることのないふるさと。でもそこにたゆたうのは、先ほどの寒さとは違うぬくもりを帯びた何かだ。
僕は学生時代、何度か三国を訪れている。季節は決まって冬。お目当ては、民宿の大皿にぎっしりならぶ甘エビだ。北陸の獲れたてを食べてしまったら、もうよそでは満足できない。なんて言いながら、伊良湖へ波乗りに行けば、大松屋食堂の山盛り手羽先と冷凍甘エビにむさぼりついてたんだけど。
もちろん三国でも波乗りはやった。九頭竜川の河口にあたる三国港は、土砂が堆積しやすいようで(サーファーはそれを砂がつくと言う)波が立つのだ。たらたらしたあまり良い波ではないけれど、人がいないのが嬉しい。
そんな三国と僕との平穏な関係は、ある日を境に一変する。歴史雑誌の短いコラムで哥川と出会ってしまったのだ。
久しぶりに憂いモードが発動された僕は、甘エビとか波乗りとかそういう楽しみは抜きで彼の地を訪ねなければならないと、憑かれたようになった。そんな旅に車はふさわしくない。列車に揺られて北を目指すとしよう。
冬の朝、京都を発つ。敦賀に入ると、空が鈍色の雲で覆われるようになる。僕は陰鬱な表情を作り車窓にもたれる。いいぞ。いい感じだ。旅愁がひたひたと押し寄せて来る。
しばらくそのままの姿勢で我慢したが、冬枯れの野ばかり見ていてもあきる。僕は映画雑誌をめくり始めた。そこでまた、偶然の出会いがおこってしまったのである。ぱらぱらめくるページに“三国事件”という文字を見つける。事件って?
昭和五十一年、東映は松方弘樹の主演で映画『北陸代理戦争』を作った。『仁義なき戦い』に始まる実録やくざモノのひとつだ。
実在の人物をモデルにした作品は難しい。細心の注意と様々な配慮を必要とするからだ。ましてや題材が暴力団同士の抗争となればなおのこと、どちらかの逆鱗に触れれば何が起こるかわからない。にもかかわらず『北陸代理戦争』は、よりにもよって現在進行中の抗争をもとに撮ってしまったのだ。中央の大組織に反旗をひるがえす地方組織をヒロイックに描いたその脚本は、素人目にも危ういものだった。
不安は的中し、映画公開からひと月あまりでモデルとなった組長が射殺される。現場は三国の喫茶店。しかも店はまだ同じ場所にあるという。
蘆原温泉駅で列車降り、駅前の小さな店で越前そばをすすって腹ごしらえを済ませる。そこから東尋坊行きのバスに乗り換えた。中ぶるの車体は、揺れるたびつらそうにきしむ。カスカスにはげたシート。重たげな雲に覆われるひなびた町。冷たい空気。事件がおそるべき生々しさをもって迫ってくる。
哥川のお墓は永正寺にあった。その小さくてかわいらしい墓石に僕は手を合わせた。合わせてみたものの、見ず知らずの人の墓に問いかけたいことも、報告する事項もない。なんだか気まずくなって、「さようなら」と言ってペコリお辞儀をし、寺を後にする。門を出れば目の前は海だ。哥川が見た冷たい海。憂いが一気に押し寄せて来る。そうそうこれこれ。
だが、寄せた波は思いのほか早く引いていった。海を見つめて過ごすのも限度があるのだ。このあとどうしよう。あてどなくさすらうのが目的だったので、お墓参り以外なにも計画してこなかったのである。
腕組みして結論に至る。やっぱり喫茶店を見に行くのはやめだ。興味本位で訪れる場所じゃない。
だったらどうするの?
その組長は、三国にできた競艇場の利権を握ることでのし上がったっていうじゃない。そこへ行こう。
だいじょうぶ? 競艇なんてルールも知らないのに。
ビビっちゃって。さすらいの旅で博打を打たないなんてほうがおかしいでしょう。勝ったら越前蟹を食べようよ。まるごと一杯。
胸はドキドキなのに、すべてを心得ているかのような顔で三国競艇のゲートをくぐる。
入ったはいいが、賭けかたひとつ分かっていないのだ。おじさんたちを横目で観察する。ぎらついた目、よどんだ目、涙目、遠い目をした人たちが、押し合いへし合いしながら券売機に群がっている。やさぐれの宝庫だな、ここは。
案の定、何が何だかわからぬままひたすら負け通し、迎えた最終レース。このままいっぺんも的中の喜びを味わうことなく追い返されるのはあまりに癪だ。細かい金額でたくさんの組合せに賭けることにする。
たいした盛り上がりもなく、レースは終わった。
当たったような気がする。たぶん的中しましたよ。払戻し機の前に立つ。左右のおじさんは、バババババッと景気よく万券が吐き出されてきた。なんという誇らしげな顔だ。はしたない。
祈るような気持ちで舟券を払戻し機に入れる。と、ステンレスに硬貨が当たるジャラジャラという音がした。僕は数百数十円を握りしめて、そそくさと建物を出た。
皆次々と駅行きのバスに乗りこんでゆくが、とてもそんな気になれない。歩こう。遠いけど。
満員のバスが、僕を追い越してゆく。さぞや僕の背中は煤けて見えることだろう。
三十分ほど歩いたところで雨が落ちてきた。やっぱり乗るべきだった。
「まぐれ無くやさぐれ時雨れる夕間暮れ」
見知らぬ町を冷たい雨に打たれて歩いていると思うと、憂いが怒涛のように押し寄せてきた。そんなにいいものじゃないな、憂いなんて。
もう泊まるお金もない。
【弁解あるいは激賞】
時雨の本意である定めなさと、浮いたり沈んだりのギャンブルとの相性は、抜群に良い。そのふたつを取り合わせた時点で、成功は約束されたようなものだ。
そして小銭のたてるジャラジャラという響きが、さらにもの悲しさを盛り上げている。
ただ上五の「は」については、「や」「の」「が」なども選択肢としてあがるかもしれない。でも「は」を用いることで、「競艇のやつは、小銭なんかよこしたんだよ」と、他人に言いつけたい作者の気持ちが一番こもるのではないだろうか。
やはり「てにおは」は、俳句の要なのである。