どうしてお墓は“おはか”と言うのだろう?
日々たくさんのお墓をながめて暮らしていながら、考えたこともありませんでした。まあ、考えたことがあるという人の方が稀でしょうけれど。
そこで出来ればスルーしたいところではありますが、立場上やむを得ず、お墓という言葉の成り立ちや、意味するところを考察してみました。
以下に述べることは、あくまで私見であって確証はありません。でも、当たらずとも遠からずではないか、とも思っております。
「おはか」の“はか”は、「はかない」「はかどる」「はかがゆく」「はかばかしい」とおなじ“はか”です。
では“はか”とは何か?
「はかる」という動詞にすると分かりやすいのですが、長さをはかる、重さをはかる、相手の気持ちをおもんぱかるなど、はかるためには対象に中身、内実がないとはかることが出来ません。つまり“はか”とは、そのものの実質、中身、本質を表しているのです。
ちょっと待った、ゼロという単位だってあるのだから中身がなくてもはかれるだろう、と反論なさる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、これは日本語の問題なのです。
かつて中国、朝鮮、日本では、ものごとは一から始まるというのが大原則でした。人の歳の数え方が典型で、日本では戦後しばらくまで、生まれた時点で一歳と数えるかぞえ年を使用してします。ところがこれが西洋式の満年齢に変わると、生まれてから次の誕生日が来るまではゼロ歳となってしまう。両者は、そもそもの発想が異なります。東洋では、そこにリンゴが有るなら、一個以上なければならない。無い場合は、無いと言う。決してゼロ個有るとは言いません。これはどちらが正しい、優れているということではなく、ものごとの捉え方の違いです。英語ではリンゴが一個なら不定冠詞の“an”を付けて二個以上なら付けませんけれど、日本人にはなぜ一個と二個以上とを厳密に区別するのか、二個以上なら三個でも百万個でもお構いなしなのはどうしてなのか、理解に苦しみます。でも英語では世界をそう捉えるのです。それと同様に“はか”は日本語なので、日本語の発想で考えなければならないということです。
本題にもどります。
“はか”とは、そのものの中身、実質を表します。
たとえば「はかない恋」という表現があります。恋の本質は、心が相手に向かうこと、通じることです。そうした心が無くなってしまうのが「はかない」です。
ほかには「勉強がはかどる」とも言います。勉強の実質は、知識を得たり理解を深めたりすること。智を自分のものにする、取ることが「はかどる」です。
ではお墓の中身、本質とは何か?
それはその方の中身。つまりその方のご生涯、人生が刻まれているのが「おはか」なのです。
二十年ほど前『千の風になって』という歌が大ヒットしました。曲中、Bメロに「そこ(お墓)に私はいません、眠ってなんかいません」という歌詞が出てまいります。それについて、今でも記憶に残る出来事があります。
歌のヒットから間もなく、ある霊園でこれからお墓にご納骨なさろうというご家族をお見かけしました。そのご家族はご遺骨を納めたあと、墓前に置いたCDプレイヤーでその曲を流し、皆で合唱なさったのです。その光景を遠目に眺めながら、私は固まってしまいました。さっきその手で納めたばかりなのに「そこに私はいません」と歌う不思議さ。何とも言えないものが残ったのですが、そのモヤモヤの正体が今、分かりました。
その曲の歌詞は英詩の日本語訳で、原題は『Do not stand at my grave and weep』です。“grave”が“お墓”を意味する言葉で、その語源は“掘る”から来ており、“掘られた場所”といった意味です。ですから、その穴に故人の魂はとどまっておらず大空を吹きわたっていても、別段おかしくありません。むしろそんな風に自由にあって欲しいと、私だって願います。
でも日本語に訳してお墓と言ってしまったら、意味合いが変わってしまうわけです。もともと、そこに故人が眠っているかどうかは問題ではないのですから。ご遺骨があろうがなかろうが、ご遺体が眠っていようがいまいが、故人の人生が刻まれたモニュメントがお墓なのです。
高野山の奥の院に通じる参道には、たくさんの戦国武将たちを祀る石塔が並んでいます。その中には織田信長や明智光秀など、死亡確認もできなかったため何も埋葬されていないものもあります。でも、それだってお墓なのです(何かが埋葬されていたらお墓で、何もなければ供養塔と呼ぶのだとおっしゃる方もいますが、そうだとしても供養塔もお墓ではありませんか。その証拠に、合祀墓を供養塔と呼ぶケースも多いでしょう。そしてなによりも、高野山の公式な標識に“織田信長墓所”や“明智光秀墓所”と明記されています)。
そんなわけで、どうしても『千の風になって』の日本語詞には違和感を覚えてしまうのです。それもまた、ソックスで下駄を履くような行為だからではないでしょうか。
