2022年12月13日

笑福亭仁鶴師匠の歌に『大発見やァ!』という名曲がありましたが、私も思わずそう叫んでしまったほどの発見があったのでご報告いたします。
で、皆さんに質問です「南禅寺は、なぜ南禅寺と言うのでしょうか?」。
いやいや、「知るか!」なんておっしゃらずに考えて下さい。私は長年、首をひねってきたんですから。だって京都五山の中で、南禅寺はたいして南ではないんですもん。天龍寺や相国寺よりは南東に位置するけれど、建仁寺よりは北だし、南の禅寺と呼ぶなら、南都奈良へ下るとば口にある東福寺や万寿寺の方がふさわしいはず。ねっ難問でしょう?
でも、ようやく解決したんです。
南禅寺の北には永観堂というお寺があります。紅葉の名所かつ見返り阿弥陀仏で有名です。ただし永観堂というのは通称で、正式名称は禅林寺なんです。そしてその昔、禅林寺の寺領は広大で、いまの南禅寺の境内地まで含まれていたと言われます。
やがてそこに南禅寺が建立されると、禅林寺を(北)禅林寺、南禅寺を南禅林寺と呼ぶようになり、それが縮まって南禅寺となったのだとか。
いやぁ長年の疑問が解決するって、刺さっていた小骨がとれたようでほんとに気持ちが良いなあ。というわけで、さっそく知り合いに話してみたのですが、さほど興味も示さず感心もしないどころか、こう返して来たのです。「じゃあ東寺はなんで東寺なの? 全然、東じゃないのに」と。ぐっ……。
また喉に小骨が刺さった気がします。


2022年12月11日

臨済宗の大本山である円覚寺は北鎌倉にあって、若き日の漱石が参禅し、開高健のお墓があって、小津安二郎の映画『晩春』内で茶会の会場となった(実際の映像は壽福寺)という、かなりカルチャー度の高いお寺です。
私も幾度となく坐禅会でお世話になりましたが、本当に良いお寺でした。僧堂の雲水さんたちが皆、まじめでひたむきに修行なさっているにもかかわらず、おだやかでおやさしいのです。往々にして修行に没頭すると、悲壮感が漂うほどピリピリして、周囲への配慮が薄れてトゲトゲしくなりがちなのですが、そういう気が全くありません。
ひとえにそれは、管長をお務めになられる横田南嶺老師のご指導のたまものと推察されますが、そのご老師が大変に興味深いお話をなさってらっしゃったのでご紹介いたします。

昨年、横田老師と雲水さんたちは、近藤瞳さんの主催する『地球46億年を感じる旅』というイベントに参加なさいました。それは4.6キロの道のりを地球が誕生してからこれまでに見立てて歩くというもので、わずか一歩が50万年に当たるのだとか。ただ46億年だの50万年だの数字を並べてもピンとこないので、実際に歩いて体験しようというのです。
さあ旅の始まりです。一歩踏み出します。生まれたての地球はマグマに覆われた熱々の球ですから、1000度を超える地面に足を置くと思って下さい。
200メートル進みました。誕生から2億年たってようやく冷えた地球に海ができます。
スタートから800メートル。8億年で海に動きが出ました。微生物が生まれたのです。生命の誕生です。
そのまま歩き続け、中間までもう少しという2200メートル地点まで来ました。新しく生まれた光合成を行うバクテリアが、さかんに酸素を吐き出し始めます。さらにその酸素を元に、有害な太陽光を防いでくれるオゾン層が出来あがります。
気がつけば既に4キロ歩いています。そして4060メートル地点でようやくアンモナイトや三葉虫など複雑な構造を持つ生物が生まれます。いわゆるカンブリア紀の生命大爆発と呼ばれる進化が起こったのです。
4200メートルで、陸に上がって生活を始める生物が出ます。
4250メートル。マラソンならばもう競技場に入っています。大森林に覆われた地球に昆虫がうじゃうじゃ蠢くようになります。
4370メートル。残りわずか230メートルのところでようやく哺乳類が生まれます。
そして最後の一歩が弧を描き着地する寸前、ゴールの20㎝手前でようやく人類・原始人が生まれるのです。
そんな長い長い時間をたどる体験を終えた横田老師はこう思われた、「今を生きることが、自分が存在することが、どれだけ奇跡に溢れているのか、それを実感できた」と。そして「我々は、いのちの長さを何十年と数えるが、実際には四十六億年の歩みの上の数十年なのだ」と。

そこで老師は、仏教の示す「劫」という時間について説かれます。
劫とはどれくらいの長さかというと、ほぼ永遠と言っても良い。「未来永劫」と言うように、それは終わりのないくらい長い歳月で、仏教が考える時間の中で最も長い単位が「劫」、最も短いのが「刹那」なのです。
余談ながら、「劫」はサンスクリット語の「カルパ」の音写です。カルパであってカルパスではない。カルパスはサラミのおつまみなので。
また「劫」とは、ざっと43億2千万年くらいだとも言われます。地球が誕生したのが46億年前ですから、かなり近い長さです。
そしてご老師は、「仏教がなぜこのような極めて長い時間を示したのか」という問いに答えて「それは皆のいのちの長さを表しているのだ」とおっしゃいました。
たしかに、各々のいのちの長さを四十六億年の歩みの上の数十年だと考えると、それが本当に尊いものだということが実感されます。