先日の第93回アカデミー賞で『オクトパスの神秘』というタコ映画が長編ドキュメンタリー賞をとった。主役は映像作家とメスダコ。人生に疲れた男が南アフリカの海辺に建つ家に戻り、毎日潜るうち一匹のタコと親しくなる。いや、親しくなると言うより恋をする。だが男には妻子がある。タコは……タコだ。その恋の顛末をつづっている。恋をすると相手のことが知りたくなる。たくさん知りたくなる。という訳で、悲しいラブストーリーを鑑賞しながら同時にタコの生態まで分かってしまうという所がミソなのである。
私はタコ映画が受賞したと聞いて、世間もようやくタコの凄さに気づいてくれたのかと、心底うれしかった。実は私、タコにぞっこんなのである。事実、タコと植物と粘菌の研究に多くの時間を費やしてきた。残念ながら、成果らしい成果はほとんどあがっていないが。
なぜそんなにタコが面白いのかお話するには、まず坐禅について語らねばならない。
みなさんは坐禅を体験なさったことがあるだろうか?
感想をうかがうと、「気持ちがすっきりした」「心が落ち着いた」「足が痛かった」といったコメントと共に「どうしても無になれなかった」という反省もしくは失望が聞かれる。
私はこの“坐禅=無になる”という固定観念が人々を坐禅から遠ざけていると思うのだが、どうだろう。また余談ながら“坐禅=叩かれる”という思いこみも一度リセットした方がいい。坐禅会に参加すると、最初から最後までパンパンパンパンと警策の音が鳴りやまない。おそらくみなさん「せっかく坐禅するのだから、棒をもらって精神を叩き直してもらわないと」とお考えなのだろう。しかし、警策はアントニオ猪木の精神注入ビンタではない。それを事前によ-くお伝えしておくべきではないだろうか。
余談はこれくらいにして、ではこの坐禅、一番よく坐れるのはどんな時だと思いますか?
払暁、白昼、薄暮、深夜、暑い日、寒い日、さあどれ?