仏事の疑問⑥

2021年1月3日

質問「ちかごろ葬儀のやり方がだいぶ変わってきました。どう思いますか?……の続き」
回答「葬送法は時と共に変わってゆくものです。でも、守ってゆきたいことはあります……の続き」
理由「故人とお別れするにあたり、弔いの儀式を行うのは意味あることだと思います。
 かつて米国人のアン・リンドバーグは『日本語のサヨウナラは珍しい言葉だ。そして美しい言葉だ』と書きました。
 どこが珍しいのか? 世界中に別れの言葉はあまたあるが、だいたい三つに分類できる。➀グッドバイ=神は常にそばにいてくださいますよ➁再見・シーユー=またお会いしましょう➂フェアウェル・安寧ヒゲセヨ=お元気で、である。ところがサヨウナラ・サラバ=そうであるならば……という接続詞なのだ。まったく私たちのご先祖は何を考えていたのだろうか、“だから、けれど、それにしても”なんて接続詞で人と別れるなんて。
 では何が美しいのか? ③は別れそのものについては何も語っていない。親の肩を揉みながら元気でいてね、そんな別れとは無関係の場面でも使える言葉だ。➁は別れはふまえているもののまた会えるという希望で悲しみを打ち消そうとしている。①は神様に丸投げだ。ところがサヨウナラは、別れを正面から受け止めた上でソウデアルナラバ私はどうする……というその人の意思が入ってくる。だから美しいのだと。ふむ、なるほど。
 では、別れを受け止めた上でどうするのか? ひとつの方法が弔いではないでしょうか。“とむらふ”は二つの“とふ”が合わさって出来たと言われます。故人の元を訪いお会いする。そして故人に問いかけ対話する。そして故人から聞いた話を一つの物語りとして作り上げる。それが弔いです。
 人間には物語が必要です。物語がなければ人は恋愛することも喧嘩することもできない。人は物語によって流儀を学び、かようにも面倒くさい恋愛や喧嘩をするようになる。日本では『源氏物語』が珍重されてきました。それはきっとあの本が、出会いの物語りであり別れの物語りだったからでしょう。人はこうして出会い別れるのだとみんな学んだのではないでしょうか。
 だから物語を聞き作り上げる大事な機会である弔いの儀式は、今後も守ってゆきたいと思うのです」