真言宗豊山派安養院(栃木県栃木市の寺院)

2024年5月7日

第4回自句自賛・季語「雲雀」

解説:「雲雀」は春の季語。
鳥のさえずりは前奏曲だ。庭でツピツピ、裏の竹藪からホケキョ、畑にピチュルピチュルと聞こえたら、なにもかも春めいてくる。
……知らなかった、俳句では「小鳥」は秋の季語なのだとか。秋に渡ってくる鳥を指すそうな。恥ずかしながら、私は傍題の「小鳥来る」を春の訪れとして鑑賞していた。そうやって一度しみついたイメージを消し去るには大変な労力がいるので、知らない言葉に出会ったら面倒がらず調べること、と言われてきたんだけどなあ。ついでに白状すると、“おっとり刀”とは、のらくらと刀を腰にさし鼻歌交じりにぶらぶら歩いてのんきな顔で現れる様だと思っていた。
気をとり直して一句。

  「ひばり宣り続け 凡夫は草むしる     陽高」

田んぼのまん中に、区画にして二十にも満たない外墓地がある。それこそ「草刈」「草取」「草むしり」は夏の季語などとのんきなことを言うけれど、雑草との戦いは四月からとうに始まっているのだ。
小さな墓地とはいえ、入口をふさぐ草むらを刈り、空き区画にかぶせたマルチシートを張替え、あちこち伸びてきた雑草を抜いていたら、半日はかかってしまう。
体力の衰えを実感する今日このごろ。ひと叢抜いては休み、またひと叢、抜いては休む。猫の背丈ほどの高さの擁壁に腰かけて、ぼちぼち起こし始まった田んぼの向こうに晃石山を望む。小林康彦著『日本百低山』にも選ばれたこの山には、桜がひつじ雲のように群れかたまっており、春と秋はことのほか目を楽しませてくれる。
そこに降ってくるのがピチュルピチュルというさえずりだ。見上げれば、雲雀が激しく羽ばたきながら空の高いところにとどまって、声をふりしぼっている。……。ずっと鳴いてる。そのひたむきな姿に背中を押されるように私も立ち上がり、草取りに戻るのだ。
やがて日は傾き、抜いた草を袋に詰め帰り支度が済んでもまだ、さえずりはやまない。そうして雲雀は春の野を鳴き通すのである。

余談だが、除草剤は使わない。無邪気にまとわりつくモンシロチョウにあまりにも無防備なハナアブ、触っただけで破れそうなイモムシや逃げ惑ってばかりのヤスデ、そこに毒薬はかけられない。
そんなのは、わずかな範囲でたまにしかやらないから言えることだ、とお叱りを受けるかもしれない。おっしゃる通りだ。
でも、埼玉県・小川町で五十年前から有機農業を始め、近隣農家へと輪を広げ、地域の核となる産業にまで育てあげた金子美登さんには、その批判は当たらない。農薬も化学肥料も一切使わない金子さんが大事にするのは、土づくり。虫や微生物が喜ぶフカフカの土を作るのだ。腐葉土が自然に出来る、つまり微生物が落葉を分解するのを待っていたら、百年がかりで一㎝がやっと。それを人の力で五~十倍に早めてやるのである。こうした地球環境からの収奪ではない、恵み与える活動にこそ、政府は分配を厚くするべきではないか。


句を褒めよう。
まず「宣(の)る」をどうとらえるか。学研の古語辞典によると、宣るとは言霊信仰を背景にした語で、まじない・のろいの力をもった発言や、むやみに口に出すべきでない事柄を明かす発言、重要な意味をもった正式の発言などにいう、とある。つまり雲雀が、自然の摂理につていか、命の実相か、はたまた恋愛指南か知らないが、とにかく大切なことを一生懸命に説いているという意味になる。演説をぶつでも、高説を垂れるでもなく、宣ふているのである。天高くより降ってくる声だから“高説”もありそうだが、述語選びが難しいので不採用。
また、句またがりが効果的だ。上五から中七へとはみ出すことで、やむことのないさえずりが響いてくるようではないか。
そのあと一文字あけて、読み手に明確な休止をうながす演出があって「……凡夫は」と来るので、視点は落雲雀のように下界へと戻される。そこには、雲雀の必死の訴えなど聞き流して草と格闘する寄る辺なき衆生の姿が、対比的に映し出されるのである。
さらに言うと、この句のテーマは上田敏訳のロバート・ブラウニング『春の朝』への応答である。有名な「揚雲雀なのりいで 蝸牛枝に這ひ 神、そらに知ろしめす すべてこの世は事も無し」という詩だ。ちなみに「なのる」は「名宣る」であり、名前とはみだりに口にしてはならないものだったのである。雄略天皇の古歌の「家聞かな 名宣らさね」つまり名前を尋ねることが求婚を意味したように。


2024年4月30日

第3回自句自賛・季語「夏至南風」

解説:「夏至南風」は夏の季語……になるかもしれない。そのうち。
季語を集めた辞典が歳時記。ハンディな角川合本版でさえ八千語近く掲載されているのだから、そこで初めて目にするという言葉も多い。私は春隣、夏隣の意味すらわからなかった。春がそこまで来ていること、夏が近いこと、という解説を読めば合点はいくものの、やはり普段使いにはハードルが高く、俳句の中でこそいきる言い回しだろう。
あるいは紙子、木流しといった、事物そのものが社会から消えてしまった言葉も載っている。それらを博物館の展示や解説ではなく、句というドラマを通して知ることで、当時の使用感や生活実感までもが伝わってくるのである。
そしてナイターだのクーラーだのと、新しく加わる言葉もある。あるいは冬の季語だったマスクがコロナ禍を経てそのポジションをグラつかせたように、変化するものもある。季語だって言葉なのだから、生きているのである。
というわけで今回は、まだ歳時記には採用されていない新しい季語の提案である。「夏至南風」は沖縄の言葉で、カーチベーと発音する。六月末の梅雨明けから七月にかけて吹く強風のことだ。

「またひとつ星はこぼれる夏至南風(カーチベー)    陽高」

学生時代、沖縄を旅した。大阪からの船旅は丸二日かかり、沖縄の地を踏んでもまだ足元がゆらゆら揺れているようだった。
宿に着くと、すぐ海へ向かった。七月の沖縄の日ざしは強烈で、みるみるうちに肌がひりついてくる。日焼けどめを買いに戻ろうと思ったら、風が勢いを増して灰色の雲を吹き集め、あれよあれよという間に曇天に。やがて大粒の雨が落ちてきた。荒天などおかまいなし、むしろこれ幸いと泳いでいたら、じきに雨雲は去って青空がもどる。やはり日焼けどめがいるなと陸に上がって歩きかけたところで、またビュービューと南風が雲を呼び、雨を叩きつけてくる。そんなことを四度、五度とくりかえして日は暮れた。
夜も更けて、相変わらず風はうなっているものの、空はきれいに澄みわたっていた。満天の星だ。気流が乱れているせいか、星々の瞬きが早いような気がする。と、天頂近くの星座からポロリと星が流れた。やがて、またひとつ。もうひとつ。まるで春の嵐が桜の花びらを吹きこぼすように、星が落ちてくる。それはそれは雄大な景色だった。
ただし浮かれていたのはそこまでで、翌朝目覚めると重度の日焼け。全身に氷をあてながら一日、寝て過ごした。

句の批評に入る。
やはり「夏至南風」が効いている。それによって沖縄にいるという舞台設定も完了してしまうのだから、すぐれた季語の使い方と言えよう。
また、「星をこぼして」と直接表現するのではなく「星はこぼれる」としたことで逆に、読み手に夏至南風と流れ星との関係をイメージさせることに成功している。


2024年4月25日

第2回自句自賛・季語「おでん」

解説:「おでん」は冬の季語。初回の「鹿」はずいぶんと古雅だったので一転、下世話なお題で。
木枯らし吹く季節の温かい食べ物と言うと、「湯豆腐」などは酒井抱一や久保田万太郎の名吟があるけれど、「おでん」を詠んだ句にパッとしたものがないのはどういう訳だろう? 言葉の響きのせいかしら? ユドウフ、は川風のようにサラリとして、胃にも優しい感じがするのに、オデン、となると古沼のようにドロッと淀み、お腹をこわす心配さえ出てきそう。ともに冬の人気メニューで調理のた易さが特徴なのに、詩というまな板に乗せると、一方のおでんは鮟鱇のようにさばきにくい素材になってしまうのかもしれない。
そんな難敵に果敢に挑んだのが次の句である。

「ソロおでん三日目 裸のちくわよけ    陽高」

自炊は面倒だ。かと言ってコンビニ弁当はもう体が受けつけないし、町中華や牛丼屋ばかりでは栄養が偏ってしまう。そこでやむなく自炊にかえってくるわけだが、献立を考える手間や調理する時間はできるかぎり減らしたい。となると必然的に、寸胴鍋で大量に作ったものを数日間、食べ続けるはめになってしまう。
そうした“セルフ炊き出し料理”の中では「けんちん汁・カレー・すいとん」の三品が、歌手で言うと「橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦」、時代物俳優なら「阪妻・千恵蔵・嵐寛」、猛毒キノコ界における「ドクツルタケ・タマゴテングタケ・シロタマゴテングタケ」にあたる。
断っておくが、たかが作り置き料理とあなどってはいけない。けんちん汁とくれば、里芋・大根・人参・ごぼう・レンコン・椎茸・しめじ・こんにゃく・豆腐・鶏肉と入るのだから、味わい、食べ応え、栄養バランス、すべてに申し分のない堂々たる一品なのだ。
そのけんちん汁、家ごと店ごとに入れる具材や味つけの違いがあるが、大きくは二つに分かれる。ポイントは、豆腐を油で炒めるかどうか。私は断然、炒める派だけれど、ゴマ油は感心しない。香りが強すぎる。そして極力みりんを使わずに仕上げたい。そうしてできた汁は、里芋こそがこの椀の主役であることを雄弁に語ってくれるのである。
すいとんもまた地方や家庭によって差があり、それこそ、けんちん汁かと見まごうばかりの具だくさんもある中、私は茄子とミョウガしか入れない。味つけは出汁と少しの醤油。そこに小麦と卵をゆるーく混ぜた生地を、ダンゴにして入れるのだ。コツは、混ぜた生地をすぐには茹でず、常温で数時間寝かせること。舌触りが段違いに滑らかになって、ダンゴの一番美味しいところ、あの周りに付くべろべろした尾ひれはひれが一層おいしくなるのである。
このところのカレーブームはすさまじい。個性的なカレー専門店が次々とオープンして大いに興味をそそられるのだが、私は断然、家のカレーが好きだ。なぜなら、いくらでもおかわりできるから。ご飯を出来る限りひかえめに盛って、ルーを次から次へと注ぎ足して二リットル平らげるなどという芸当は、お店ではとてもできまい。
くわえて、私は出来たてのフレッシュなカレーが好きなのだ。ほぼスープのような。付け合わせは、刻んだピーマンでいきたい。何度も温め直しているうちに、さらさらだったルーがもったりしてくるのはちと残念だが、そうなったらなったで汁を張ったうどんにかければよいのだから、なにも嘆くことはないのである。
そこへいくとおでんは、大根以外、スーパーで買ってきた具材を「紀文・汁の素」に入れるだけなので、自炊というより中食に近い存在だ。それでも、ドーンと作って何日も食べ続けるという点では、やはりセルフ炊き出し料理のひとつに数えてよいだろう。

それはそれとして。
おでん種を選ぶのは楽しい。玉ねぎ揚げ、紅しょうが揚げ、ごぼう巻き、ウィンナー巻き、シュウマイ巻き、餅入り巾着……と、カゴに入れて考えこむ。これじゃ茶色過ぎるな、と。色味が良くない。そこでグレーのこんにゃく、まっ白なハンペンと買い足して、同じく白いちくわの前でハテと首をひねるのである。ちくわの磯辺揚げは好きだ。讃岐うどんをの脇には是非、置いておきたい。でも、おでんのちくわは、ちっとも美味しいと思わないのだ。思わないけれど、この形状を捨てるのはしのびない。○△□で構成されるおでんの中にあって、まさかの筒状は、きっと食事のリズムに変化をもたらしてくれるにちがいない(昆布巻きもちくわぶも嫌いなのだ)。というやりとりを経て、いつもちくわがカゴの一番上にのることになるのだが……。
まぁ食べない。具を注ぎ足し、注ぎ足しして三日目。すでに数十回、煮たくられたちくわは、いつの間にかガサガサしたガワが外れてどこかへ行ってしまい、鳥肌のストローのようになっている。そんなナリでは余計、口に運ぶ気がおこらず、箸で脇へ押しやられて、また鍋の海を所在なさげに漂うのである。


句の寸評を。
一人でおでんをつつくという情景を「独りおでん」と表現しても「ぼっちおでん」と詠んでも字余りだ。そこを「ソロおでん」と五文字できっちりフレージングしたところが心憎い。
また、「ソロおでん三日目」は句またがりであるが、あえて調子を崩すことで、ひとりで三日続けておでんを食べ続けているという、うんざり感や悲しみが強調される。
そして「裸のちくわ」という観察眼にもうならされる。みんな一度は目にしたことのあるガワの外れたちくわを、こう表現するとは。それを「よけ」てしまうのだから、三日たってもまだ食べてもらえないちくわもまた、悲しい。


2024年4月17日

私は流行を追わない子だった。
みんなが「ヨーヨー」「次はスーパーカー」「今どきは怪獣カード」「スターウォーズ!」と熱をあげるなか、ランボルギーニ・イオタとランボルギーニ・ミウラのちがいを知りたいとは思わなかったし、ウルトラマン一家にちぎっては投げられ、ちぎっては投げられしてきた怪獣たちの遺影を集めたいと願うこともなかった。
単に無気力なだけだったんじゃ? と疑われるかもしれないが、そこは否定したい。
だって、小学三年生で戦国合戦の虜になり、関連書を読みあさっては関ケ原で家康を打ち負かすための戦術研究に明け暮れたし、永谷園のお茶漬けを毎朝すするという苦行に耐えて、オマケについてくる北斎や広重の浮世絵をコレクションしたりもしたのだから。
そんな風に人並みには好奇心や収集欲はあったのに、どうして流行にだけ背を向けたのか?
ひとことで言うと、ひねくれた子だったのだ。とにかく誰かに、ああしろ、こうしろと指図されるのが大嫌いで、命令されたとたんやる気が萎えてしまう。「今やろうと思ってたのにぃ言うんだもんなぁ」というやつだ。そんな子にとって流行に乗るというのは、「これで遊びなさい」「こうやって楽しむんだ」と誘導された通り動くロボットになることにほかならなかったのである。

そんなヒネた性格は、五十年たった今でも変わらぬままだ。
正直に告白すると、「ヘソ曲がりはやめて、笛を吹かれたら素直に踊ったほうが楽しいだろう」と、悪魔のささやきが聞こえることもある。
でもグッとこらえて、自分に言い聞かせるのだ。考えてみろ、やたらオススメしてくるネット広告を一度でも開いたことがあるか? レコメンドされた動画や音楽を試してみて、ツボを心得てるなぁと感心したことがあったか? ああいう的外れなオススメをスルーするのと同様、たいして興味のないものを、流行っているからという理由で追いかけるいわれはないっ!
まぁ、そうした偏屈なふるまいは、場をしらけさせてしまうし、世間と摩擦を生むことだってある。でも見方を変えればそれは、空気に流されない、長いものに巻かれない、権力に屈しないというパンクな精神であって、仮面の下に私利私欲を隠した権力者やラウドマイノリティに引きずられないために必要な態度なんじゃないだろうか。

ただ……弁解する訳ではないが、ブームが過ぎ去ったあと突如、興味がわいてハマることはある。それはセーフでしょう。
思い起こせば、私の中で、にわかに水木しげる先生熱が高まったのは、『ゲゲゲの女房』が放映された五年後だった。昨年は思いがけず、タピオカミルクティー・ブームが到来した。ほとんどの専門店は潰れていたけど。そして今、断然キテルのが俳句だ。
俳句ブームは、ひょんなことから句会を主宰せねばならなくなったことから火がついた。常識で考えて、どれほどの誤解と偶然が重なったとしても、句会を主宰するなどという事態は起こらない。が、起こってしまったのだ。ただ、そうなったところで、私は俳句を詠んだこともなければ、まして句会に出席した経験などあるはずがない。そこで付け焼刃で勉強を始めた。で、手にした『句会の練習帖(井上弘美・岸本葉子著)』が蒙を啓き、句作の楽しさを教えてくれたのである。
私はずーっと、俳句というのは詠みたいことがあってはじめてひねり出すものだと思っていた。だから、古池に蛙が飛びこむのを目撃するといった、俳句にふさわしい出来事に出くわすことなんてまぁないし、仮に何か特別なことがおこったとしても、それを俳句に仕立てたいという発想自体わいてこないのだから(感動するほど美味しいうどんを食べて、では、ここで一句とはならないように)、一度も作ったことがないのは当然だったのである。
ところがお二人は、季語から発想して句を詠むことだってできるよ、とおっしゃるのだ。そのひと言で私は、目の前の霧が晴れ、肩の力が抜けた。何か深いテーマを見つけなければ小説は書けないと思いこんでいた文学青年が、小説は内容だって表現だって自由でいいんだと、気づいた時のように。

で、詠んでみた。
季語から何が浮かび、そこにどんな感情が動くのか? その情景のどこを、どう切り取って見せるのか?
句を作ろうとする中で、記憶の底に沈んでいた体験が、ふとよみがえることがある。それをなんとか五や七のフレーズに落としこんでゆく。すると当時は素通りされ、言葉ではすくい取られなかった感情や情景が、作品となって新たに立ち現れてくるのである。それは一度しかない人生を二度、三度生きるようなものなのだ。
また、季語に導かれて思いがけぬ角度から詠んだ句が、自分の知られざる一面を見せてくれることがある。こんなことも考えていたのかという新鮮な驚きをもって、自分と向き合う体験を、俳句が取り持ってくれるのである。
なんだか句作って、すごく禅的。坐禅みたいだなあ。
以来、俳句ブームの中でたくさんの句が生まれたのだが、どこにも発表する場がなく、ゆえに誰も褒めも貶しもしてくれないので、この場を借りて発表および解説(激賞)を行うことにした。言わば自句自賛である。



  

   第1回自句自賛・季語「鹿」

解説:鹿は秋の季語。和歌では、哀れを誘うその鳴き声を詠まれることが多く、もみじや萩と共に描かれるのが定番だ。そして「小牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ……」「八峰越え鹿待つ……」「小倉の山に鳴く鹿は……」「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の……」と、舞台はしばしば山中に設定される。
そこでこの一句である。

 「処分場 可燃の山に 鹿のむくろ     陽高」


二十年ほど前まで、お寺で出たゴミは自坊の焼却場で燃やしていた。ところが環境問題が深刻化して、それも出来なくなった。そこで魂抜き(撥遣という)した御位牌や卒塔婆は、60㎝以下まで細かくして処分場に持ちこむのである。
つわぶきの黄色が鮮やかさを増し、秋も深まってきたある日の午後、半年分の焼却物をトランクに積んでクリーンプラザへ運んだ。
いつものように二階の可燃ゴミ投入口に車をつける。と、異様なにおいが。なんだ? ゴミ処理場なのだから当然においはある。でも、それとは違う、神経を緊張させるような強烈なにおいが、構内に満ちていたのである。
いぶかしがりつつ、古塔婆を抱えて投入溝の縁に立つと眼下に……鹿のむくろが横たわっていた。淡褐色の毛並みもつややかな、立派な鹿だ。銃で仕留められたのか、ワナにかかって力尽きたのか、車にはねられたのかわからないが、キョロッと剥いた黒い瞳は虚空を見つめたまま動かない。
この鹿は、奥山ではなく可燃ゴミの山に埋もれて、焼却されるのを待っている。鳴き声のかわりに強烈な異臭を放ちながら。
これが、句のもとになった経験である。
鹿といえば、信州は白駒池を訪ねた際、小糠雨降る山道で出くわして、しばし見つめあった小鹿との美しい思い出なども浮かぶけれど、あのとき処分場で感じたモヤモヤは今でも心をざわつかせてやまない。

で、句の評価を。
なんと言っても、中七の「可燃の山に」がお手柄である。短いフレーズにギュッと情報を詰めこみ、かつ古歌と対比させることで現代社会が抱える問題を浮かび上がらせている。お見事。
また、下五が字余りとなっているが、その引きずるような口ぶりが、作者の心に澱となって漂うモヤモヤを暗示させる効果を与えている。
歳時記の鹿の項に、新たに加えたい佳句である。


2023年12月2日

亡き母を思い出すたび、あの夜の電話がよみがえり、心底、自分にがっかりする。
連れ合いを亡くして二年がたったころ、ひとり暮らしの母は、写経を始めた。テキストは、定番中の定番『般若心経』だった。
そんなある夜、八時半は回っていたと思う、母から電話があり、こう尋ねられた。
「色即是空はわかるんだけど、そのあとの空即是色がよくわからないの」
私は思わず苦笑した。そして聞き返した。
「色即是空はわかるの?」
「……なんとなくだけど」
すでに感じが悪い人になっているのに、さらに意地悪を言う私。
「じゃあ意味を言ってみて」
「えーと、あらゆる物や現象には、固定的な実体がない」
「なにか解説書を読みあげたでしょ」
「ち、ちがうよぉ」
「叱ってるわけじゃないよ。次の空即是色は、どう説明しているの?」
「すべては関係性の中で変化し続ける。だから縁起して、あらゆることが現象してくる。別の言いかたをすると、あらゆる現象には自性がないため、特定の色として現れるしかない」
「うん。その通りだね。わかるじゃない」
「わかんないよ」
「どうして?」
そこで母は、鋭く言い放った。
「色即是空の即って、イコールとは違うじゃない」
「ん? イコールでしょう」
「だって英語でShe is a teacherって言うとき、彼女と先生は同じじゃないでしょ。先生は属性って言うかカテゴリーって言うか、彼女より大きな括りだもの」
「英語のisはそうかもね」
「色即是空だって、色より空のほうが大きくない? 宇宙の実相であり、全体性なんだから」
「……うーん」
「だったら、ひっくり返して先生とは彼女ですって言えないのと同様に、空とは色であるって言えないでしょう」
「そうかな? いや、だけど、さっきの解説にあったように、全体性が絶え間ない縁起の中で特定の色として像を結ぶって、その通りじゃない」
「今言った説明は、前の色即是空の説明、あらゆる現象には固定的実体がないとは、非対称だよね?」
「えっ?」
「どうして非対称なんだろうって考えたら、空とは色であるとは言えないんで、表現方法を変えてごまかしてるとしか思えないの。だからモヤモヤするのよ」
母の理屈には、筋が通っている。それにしても、相当テキストを読みこんだのだろう。なんと深い問いなのだ。いやいや、感心している場合ではない。このままでは、僧侶を名乗っているにもかかわらず、上っ面の理解しかしていなかったことが露見してしまう。私はあせった。
「ちょっと待って下さいね。原典を見ながら、頭を整理するから」
私は経本を探すふりをして、書棚をあさった。何かの本に同じようなやりとりがあったことを、思いだしたからである。どこだったかな? そうだ! 芥川賞作家の玄侑宗久先生とテーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ師の対談本だ。
本をひっぱり出して、急いで当該箇所を探す。あった。スマナサーラ師は般若心経をこう論難する、「色即是空は良いが、空即是色は受け入れられない。間違っている」と。やっぱり、母親と同じようなことを言ってる。それに対して玄侑先生はどう反論したのか。えっ? まさかのスルー。それはないでしょう。私はどうすればいいのですか。
で、ごまかすことにした。
「色即是空、空即是色……やっぱり問題ないね」
「さっきの解釈通りなら、空即是色って表現を変えなきゃいけないんじゃない?」
「玄奘法師の翻訳が間違ってるなんて、そんなたいそれたことを言っちゃだめでしょう」
「だからこそ納得させて欲しいのよ」
「今日はもう遅いし、やらなきゃならないこともあるから、一旦切るよ。また今度、説明するから」
と言って、私は電話を切った。そして、以降、空即是色から逃げまくった。そうこうするうちに、母は大動脈解離であっけなく逝ってしまったのである。
以来、私の心には空即是色というトゲが刺さったままだ。今なら何と答えるだろうと、いつも思う。
ちなみに、今現在の答えを言おう。
母の言う通り、色即是空では空のほうに比重がある。そして空即是色では色のほうに比重がある。そこに母はひっかかりを感じたのだ。宇宙の実相、全体性よりも、個々の現象のほうが大きいなんてことはないだろうと。だが、それでよいのだ。なぜなら、個々の色には、名づけによって型に押しこまれてしまうという特徴がある。男、女、蝶々、猫、机……。でも目の前にいるのは、ミーという三色まだらの、尻尾の長い、毛におおわれた、やわらかくてかわいらしい生き物なのであって、猫と呼ぶことで、それそのものにしかない尊さから遠ざかってしまう。そうした個々の色の尊さを表すのが、空即是色なのではないだろうか。
そして色即是空空即是色と続けることで、また別の世界が開けてくる。色はニワトリで空はタマゴだとすると、まさにニワトリが先かタマゴが先か、どっちの見方もできるわけで、同様に“因果の時間”と“共時”という二つの在り方が混在する世界がそこに展開されるのではないだろうか。その八文字の連なりで、ダイナミックな運動性と時間観を提示している。それが今の実感なのである。
あの夜の母は、もちろん疑問を解消したかったのだと思う。でも、それだけではないようにも思える。きっと夜中に一人でさびしかったのだ。もっと話したかったろうに、私は電話を切ってしまった。
せっかく重要な問いを投げかけてくれた母に、僭越にも私は答えを与えようとしてしまった。一緒に問いと向かいあい、考えを深める機会を放棄してしまったのだ。
母の死以降、私は問いに対して偉そうに答えたくなる気持ちを抑えこむようにしている。それが、母の最期の教えだと思うからである。