自句自賛10

2024年6月20日

第10回自句自賛 ― 俳句で人は笑わせられるのか?


【課題】 「本日の季語・胡瓜」……胡瓜は夏の季語


【俳句ルールへのぼやき】
 ルールその一、俳句はまじめに詠まなければならない。
 それはその通りなんですけど……俳句で人を笑わせることってできるのかなあ?
 そんな不謹慎な考えが浮かんだのも、俳句の元となった俳諧は笑いをとってなんぼの遊びだったと知ってしまったからだ。あの芭蕉だって、若いころはイキの良い俳諧師として一目置かれ、ナンセンス物やダジャレ入りなど、かなり攻めた句を詠んでいたのである。たとえば、
 芭蕉三十四歳の作「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁(ふくとしる)」
 ほぉ。“河豚汁”と“福と知る”かけましたか。まあ、笑いのツボというのは時代によって変わるから。
 そんな芭蕉黒歴史のなごりは、翁が世俗的成功を断念したあともふっと顔を出して、
 同四十九歳の作「鶯や餅に糞する縁の先」
 下ネタかよ。ほんとにこんなので昔の人は笑っていたのだろうか。
 芭蕉まかせでは、早々に俳句で人を笑わせることは無理という結論になりそうなので、僕が詠みます。
 その前に、ギャグ句のレギュレーションを明確にしておかないと。とりわけ、サラリーマン川柳とどこが違うのかという点は重要だと思う。単に季語が入っているのかいないのかの違いだけでなく。
 そこで、サラ川は時事ネタ中心という点に着目して、ギャク句は、元祖・貞門俳諧の流儀を汲んで、和歌や物語や謡曲などの古典をもじって心理的落差で笑わせることにしようと思う。だから古典パロディ句とも言えるかな。
 参考までに貞門作品の例をあげると、仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見ればけむりたつ民のかまどはにぎはひにけり」という御製をもじって「高き屋にのぼりてみればつばきはき」と詠んだりしている。だからそれ面白いか?
 かなり不安だけれども、ギャグ句を詠んでみましょう。きわめてまじめに。
 ちょうど「胡瓜」なんていう、ひねりを効かせられそうな題だし。


【俳句】   「ワル胡瓜の香々噛み〱黄昏」


【句の背景あれやこれや】
 小学四年生の僕は、香々(こうこ)のせいで大きな挫折を味わうこととなった。
 そうか、もう“こうこ”という言葉を知らない人もいるかもしれない。漬物のことだ。
 漬物にはいくつか呼びかたがあって、“香の物”なんて言えばちょっと気どった感じに聞こえるし、“おしんこ”だと、本来は古漬けに対する浅漬け、つまり新香からきているのに、なぜかやたらとしょっぱいものが出てきそうだ。くだんの“こうこ”は、もと女房詞の「香々(こうこう)」を省略して「こうこ」、あるいは丁寧に「おこうこ」となったんだそうだ。
 落語に『うなぎの幇間』という芸人のペーソス全開の噺がある。その舞台となる汚い鰻屋の二階で、幇間の一八がきゅうりの漬物を褒めそやしたりくさしたりするシーンが出てくるのだが……。
 落語研究家の興津要が編んだベストセラー『古典落語』では「香物」と書いて「こうこ」と読ませている。じゃあ実際の噺家はどう演じているのかというと、この噺をみがいて完成させたと言われる文楽は「しんこ」だ。不味い鰻屋なんだからと、物が悪い感じを出そうとしたのかな。そこへいくと志ん朝は「こうこ」で、江戸落語の名手の口から出ると、粋な通人でなければならない幇間ならそう言うにちがいない、なんて気になってくる。小三治は「きゅうりのこうこ」と、わからない人もいるかもしれないという親切心からだろう、さりげなく説明してくれる。ちなみに志ん生は、あのべらんめい調でただ「だいこん」と言うだけ。うわぁ、らしーい。
 で、一八が胡瓜の香々に毒づくセリフが「この腸(わた)だくさんのきゅうり、きりぎりすだってこんなものは食うもんか」なのである。
 それが僕にはショックだった。なんせ、わた沢山が好きだったから。以来、きゅうりの香々を食べるたびに、お前はきりぎりすだってそっぽを向くような野菜を好むヤボな子なんだ、物の味がわからない子なんだと、自分を責めるようになってしまった。一八も罪作りなことをする。
 それでも己の舌に正直に言わせてもらえば、不味い香々というのは、瘦せてひねた胡瓜に塩をぶちこんで漬けた、しょっぱいだけで酸味も旨味もないやつのことなのである。


【弁解あるいは激賞】
 今回のギャグ句への挑戦では、川柳の「時事ネタ」に対し「古典」をもじることを条件とした。が、なにも『源氏物語』ばかりが古典ではない。オペラ界では、R.シュトラウスやプッチーニまでならクラシックなのだ。
 そのオペラだが、楽劇の神様ワーグナーが書いた『ニーベルングの指環』は、世界を支配する力を持つ指環をめぐって神と人と地下族が入り乱れ、世代を超えてせめぎ合った末、天上のヴァルハラ宮が燃え落ちて幕となる壮大な物語だ。ボリューム的にも、完成までに二十六年かかったという超大作、全四部作で構成される。それぞれのタイトルが『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』……と、壮大な知ったかぶりはこれまでにして、当句はその中の楽曲「ワルキューレの騎行」と「神々の黄昏」をもじったものである。
 しかし、単にもじっただけではない。芭蕉が突如、町名主代行という安定した職と、せっかく軌道に乗り始めたベンチャービジネスの権利を捨てて、人もまばらな深川に引っこんでしまったときに詠んだ悲し過ぎる句、
「雪の朝独り干鮭を噛み得たり」への応答句になっているのである。
「ワル胡瓜の香々噛み〱黄昏」あらためてならべてみました。
 いやぁ、絢爛豪華なオペラのタイトルを借用しながら、描くのは純和風のわびしい景色、この心理的落差たるや。しかも芭蕉へのリスペクトを忘れていない。なんたる手練れの技っ!

 ところで、当句から呼び起こされるのはどんな場面だろう?
 ある人は、芭蕉のように家で独りのわびしい食事を思い描くだろう。中には、汚い鰻屋の二階に残された一八の、女中も下がってしまったその後を句に重ねる人だっているはずだ。またある人の頭には、夕暮れ時の居酒屋が浮かんでくるにちがいない。
 ふらりと入った居酒屋。客は、カウンターの奥にじいさんが一人。目の前に置かれた瓶ビールをぼんやり見つめている。どれだけの時間そうしているのか、瓶はびっしょり汗をかいて、カウンターに水たまりができている。
 あなたは手前のカウンターの隅に座ることにする。そこなら空が見えるからだ。高い塔のようにそそり立つ夏の雲が、うっとりするような真珠色に輝いて、みるみる桃色に染まりだし、やがて茜色に燃え上がる様をながめているのが好きなのだ。
 若いが、きかなそうな顔をした亭主が、じいさんに枝豆の小鉢をさし出す。ドスのきいた声で、
「サービスです」
 じいさんはハッとわれにかえり、「頼んどらん!」と、大きな声を出す。
 亭主は、カウンター越しに坊主頭を突き出して、
「いえ、サービスですよ」
「頼んどらんてっ!」
 亭主は身振りで、お代はノー、いらない、どうぞ、と勧める。
 じいさんは、顔色をうかがいながら小鉢を引き寄せると、脇にかかえこみ、むさぼるように口へ放りこんでゆく。耳が遠いのか。
 あなたは壁のメニューに目をやる。と言っても、ながめるふりをするだけで、はなから注文は決まっている。
「ビール」
 それ以外、頼む気はない。お金がないのである。
 栓を抜いたビールとコップが、無言であなたの前に置かれる。
 だが、あなたは手をつけない。そして、探るような目で亭主を見つめる。
 向こうは察して、
「うちはお通しは出しませんよ。チャージ頂かないかわりに」
 それはそれでありがたい話だが、じゃあ枝豆はどういうタイミングで貰えるのかが気になるところだ。
 亭主が、目で催促してくる。
 しかたなく壁のメニューに目をやるあなた。でも、迷っているふりをしているだけで、一択しかないことはわかっている。
「おしんこを」
 一番、安かったのである。
 脇の冷蔵庫からダイレクトに運ばれる大根と胡瓜のおしんこ。ひと口かじってみる。やたらしょっぱい……でも、酒のアテにはこのほうがいいのか。
 飲みこんで、コップのビールをあおる。
「ぷはーっ」
 冷ったいや。
 外に目をやると、ホームの陰になった駅前はすでにうす暗く、まだ青さの残る空とのコントラストが鮮やかだ。自然美、調和、人間の愚かさ、もろさ、憂い、嫌悪、執着、様々な感情がない交ぜになったあなたは、うっすら涙を浮かべる。そして無性に歌いたくなる。でもカラオケに行くお金はない。いや正直ないことはないが、もったいない。
 ここで歌っちゃおうか?
 客は一人も同然なんだし。
 カラオケが普及する平成の世まで、宴席でも銭湯でも酒場でもいきなり誰かが歌い出すのは当たり前の光景だった。感極まったら歌うのは、ミュージカルの中だけではなかったのだ。
 あなたは目を閉じる。そして背筋を伸ばし、情感たっぷりにうなりだす。
「〽お酒はぬる……」
「お客さん!」
 間髪入れず制止された。
 驚いて目を開けるあなたを、亭主がしたり顔でさとす。
「ほかのお客さんの迷惑になりますんで」
 あなたはじいさんに目をやるが、枝豆はとうに食いつくして、ふたたびビール瓶とにらめっこをしており、こっちを気にするふうはない。
 非常に不本意ではあるが、亭主とケンカしてまで歌いたくはない。あなたは、コップに注いだビールをぐびっとやる。
 と、じいさんが大声で、
「あぶったイカっ!」
 じじい、聞こえてるのか?
 亭主はイカをあぶり始める。
 もやもやをふり払うように、あなたは胡瓜の香々を口へ放りこみ、カリカリ噛む。うわぁしょっぱい。ビールがすすむ。いかんいかん、お代わりはできないのだからセーブしなければ。
 表を見ると、帰宅時間とあってロータリーは混雑し始めた。
 うほぉ雲の塔に火がまわり始めたぞお。心が高揚すると同時に、一句ひらめいた!
 あなたは胸ポッケからボールペンを抜いて、箸袋に書きつける。そして、しげしげとながめるのだ。納得のいく出来だった。会心の作と言ってもいい。
 読みあげてみようかな?
 だってこれは、ひとり言といっしょだし。
 あなたは背筋を伸ばし、箸袋を遠くに構え、朗々と吟ずる。
「夏がゆく燃えろよ燃えろ空の塔」
 もう一度、吟じるのが習わしだ。
「夏がゆ……」
「ほかのお客さんの迷惑になるんで!」
 さっきよりも強い口調だった。
 これには、さすがに黙っていられない。
「俳句を披露するくらい、いいじゃないか」
「短歌派のお客様もいらっしゃいますからね」
 にらみ合いの間げきを縫って、じいさんが妙な抑揚でうなりだす。
「焼けぼっくいにぃ、火がつきし哉ぁ」
「えっ?」
 思わず聞き返すあなたを無視して、じいさんはくり返す。
「焼けぼっくいにぃ、火がつきし哉ぁ」
 あなたはワナワナとふるえだす。なんと見事な付句だろう。さっき詠んだ炎が天宮の大火災のそれだと読み解いたうえで、その火元はブリュンヒルデとジークフリートの愛情のもつれであると指摘しているのである。
「おじいさん、あなたひょっとして……」
「サービスです」
 割って入るように、亭主があなたにおしんこをさし出す。
 あなたは、まだまるまる残っているおしんこと、追加で増えたおしんこを見比べて、
「できれば別のものが……」
「色々あるけど、頑張りましょう」
 亭主は有無を言わさぬ迫力でうなずく。
 だが、あなたも中々にしぶとい性格とみえ、
「枝豆とかあれば……」
「頑張りましょうよ。おたがいに」
「……」
 あなたは香々を噛む。噛む。涙のようにしょっぱい香々を。
 外はすっかり暮れてしまった。そこにあるのは夏の闇。濃密な闇だ。
 ……とまあ、ここまでのやりとりが、さきほどの句の中に中に詠みこまれていたのである。

 で、結論。
 僕の句で爆笑を取れるかと言うと……。
 俳句には、苦い笑いが合っているようである。