自句自賛15

2024年7月24日

第15回自句自賛 ― 俳句の海をバタフライで泳げ


【本日の季題】 「鰻」…そりゃあ土用の丑の日ですから


【本日の調理法・あるいは俳句ルールへのぼやき】
 堀切克洋先生の分析によると、文体という視点から見れば俳句は四つのグループに分けられるのだそうだ。

➀名詞連続体……名詞のみ、もしくは名詞と助詞のみで構成される句

    白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
    処分場可燃の山に鹿のむくろ     武羅小路二郎


➁文語体……文語を用いた句

    チューリップ花びら外れかけてをり  波多野爽波
    日ざかりや雲立つ下に海あらむ    武羅小路二郎


➂文章体……述語部分に助動詞が用いられていないため、文語とも口語とも判別し難い句/散文に近い文体を定型にはめこんだ句

    こころもち向き合ふやうに雛飾る   仁平勝
    ひばり宣り続け 凡夫は草むしる   武羅小路二郎


➃口語体……特徴的な文末表現によって、読み手とはまた別の誰かに向けて発話されたように感じられる句

    たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典
    火事かしらあそこも地獄なのかしら  櫂未知子


 とても分かりやすい分類法で参考になります。
 だから、それをさらに水泳の泳法に置き換えてみたい。いやこの際、そんなことする必要があるのかという問いは置いといて。

➀まず文語体だが、それは古式泳法の「ひとえのし」とする。
 古式泳法は、海など自然の中で泳ぐのに適していると言われる。特に遠泳の際に必要となる、気持ちをリラックスさせ筋肉を緩めてエネルギー消費を抑えるコツがつかみやすいのだそうだ。
 俳句において、文語は口語にくらべて音数を節約することができる。そこが古式泳法に譬えた所以だ。

➁次に文章体。これは「自由形」か。
 自由形種目というと、近代泳法のクロールで臨む人が圧倒的に多いけれど、そうしなければいけないという決まりはない。顔出しクロールと言われる昔ながらの“抜き手”で泳いだってかまわないのだ。
文体を特定できない文章体は、泳法を特定しない自由形とするのが妥当ではなかろうか。

➂名詞連続体は「背泳ぎ」だろう。
 俳句は名詞中心で構成されるから、名詞だらけの句もさほど珍しいわけではない。とはいえ動詞も形容詞も使わないとなると、かなり景色がちがってくる。そこで唯一、仰向けで空を見続けながら泳ぐ背泳ぎに譬えたい。
 ちなみに女のどざえもんは仰向け、男のそれはうつ伏せで漂うとされる。ずっと信じていたのに、どうやら嘘らしい。

➃そして口語体は、ずばり「バタフライ」だ。
 派手なアクションで、やたら水しぶきをあげるバタフライ。あれ横でやられたら迷惑なんだよなあ。神妙な面持ちで“外れかけてをり”とか“雛飾る”なんて詠んでいる席で、“ぽぽが火事ですよ”とか“地獄なのかしら”なんて言われたら嫌だと思う。目立つんだけどね。

 というわけで今回は、平泳ぎが漏れてしまった。北島康介さんを手ぶらで帰すような格好になってしまい、まことに申し訳ない。“康介さん手ぶら”と言えば、二〇一二年ロンドンオリンピック・伝説の競泳男子四百メートルメドレーリレー決勝。もちろんハンセンを抜いてトップにたった康介さんは凄かったが、怪物フェルプスと互角に渡り合う松田の頑張りには目を見張るものがあった。ナイス、バタフライ!
 そんな松田選手の後押しを受けて、今回初めて俳句界のバタフライ・口語体俳句に挑戦してみようと思う。


【俳句】 「鰻」で一句

「鰻重って蓋あけたとき味しない」


【句の背景あれやこれや】
 二〇一五年、京都国立近代美術館で“北大路魯山人と食”にスポットを当てた展覧会が開かれた。僕はあまりの素晴らしさに二度出かけてゆき、それでも飽き足らず祇園の何必館にまわって魯山人の器を鑑賞して、ようやく熱をおさめたほどだった。
 圧倒されたのは、その独創性。食事全般において、いかに多くのものを生み出したことか。革新的な料理の盛りつけや供しかたはもとより、誰も考えなかった形とデザインの器や調度品まで自身で手がけている。たとえば黒漆地に金箔と銀箔を押して太陽と月を表現した<日月椀>も、鉄板を切り抜いて火袋からもれる光で影絵のように見せる<透かし行燈>も、ゆるやかに湾曲させた板鉢に足をつけた<俎板皿>も魯山人オリジナルだとされる。
 とりわけ、その俎板皿というのが世紀の大発明で、どんな料理を盛ってもひきたててしまうからびっくりだ。そのむかしホストの男の子たちがしていた、しだれ柳をかぶったようなスジ盛りヘアも、誰でもそれなりに見せてしまうという点でノーベル賞級の大発明だったけれど、ひょっとするとそれに匹敵するかもしれない。
 その魯山人、とにかく権威や権力に噛みつく。その作品がダメならば、大御所然とした陶芸家だろうが有名な書道家だろうがひるむことなく、ボロカスにけなす。誤解しないで欲しいのだが、なにも偏屈だから唾を吐くわけではない。
どこの世界にも言えることで、協会の役職に就きたがったり審査員をしたがったりする人は、世渡りに長けている反面、才能も努力も足りないことが多い。だが、そういう人がその道の権威となり、権勢をふるうようになる。そんな状態はみんなにとって不幸なことだから、魯山人は怒ってみせるのだ。本当は誰より繊細で、自分も傷つくとわかっているのに。
 魯山人は、名が知られるようになってからも努力を怠らなかった。良きものを探して学び、研究をおこたらず、必要とあらばどこにでも出かけて行く。だからこそ生まれるあの自由さ、力強さ、オリジナリティなのだろう。

 そろそろ鰻の話に入らないと。広く知られるところだが、鰻の焼きかたは東と西で分かれる。東では一度白焼きにしたものを蒸して、それからタレをつけて焼き上げる。蒸すことで、ふっくらとした食感になるのだ。対して、西は直焼きする。ゆえに皮がパリッとするのが特徴だ。
それぞれ好みが分かれるところだと言われるけれど、僕は断然、東の焼きかたのほうが美味しいと思う。そんなことを言うと、おまえは関東の生まれでそっちを食べつけているからそう感じるんだ、と反論されるかもしれない。
 でも、京都上賀茂生まれ、バリバリの関西人・魯山人がこう言っている。
「うなぎの焼き方であるが、地方の直焼き、東京の蒸し焼き、これは一も二もなく東京の蒸し焼きがよい」
 ほーら大の食通の魯山人がそう言うんだから、蒸し焼きの勝ちなんです。
うっ……。
僕としたことが、お恥ずかしい。偉い人の言葉を引いて自説を補強しようなんて、反権力を標榜する人間が一番してはいけないことじゃないか。
 そうだな。直焼きも美味しいな。うん美味しいです。

 鰻で大事なのは、捌きかた焼きかた、そしてタレだ。
 タレは大きく二系統、醤油の勝ったさらりとしたものと、甘みが勝ったとろりとしたものに分かれ、それぞれ出来の良いものは甲乙つけがたい。できればどっちも食べたい。
 そのタレには、“秘伝”“門外不出”“継ぎ足して云十年”など、大仰な文句が冠せられることが多い。僕は店に入るとまずその説明書きを探して、じっくり読みこむのを楽しみの一つとしている。
 数ある説明文の中でも強烈なインパクトを残したのが、埼玉県小川町の福助という店だ。銭湯のような唐破風の玄関をくぐり、時代のついた明治の建築の奥で供されるのは、その名も“女郎うなぎ”。僕ら由緒書マニアにとって、これほど興味をかきたてられるネーミングがあるだろうか。
 注文もそこそこに(初めての店なので自重して鰻丼にした)、由緒書をむさぼり読む。
「女郎うなぎの由来
  今からおよそ160年前、黒船の襲来した天保安政の頃の事です。
  当家の先代善兵衛の親友某氏が、宿坊の伊勢神宮へ行った帰りに後日の思いでにと、江戸は吉原の廓に立ち寄った所、相手の
        花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜となってしまいました。そこで男は大枚を投じて身受けをして小川の町に連れ
        帰ったまではよかったのですが、我家には妻がおりますので思うにまかせず、思案に余り当家先代の善兵衛の侠気に委せたので
       した。善兵衛は早速我が家に引き取り親身も及ばぬ慈しみといたわりで救いの手をさしのべましたので彼女も又、安住の喜びに
       一意専心家業の手助けに忠実に働きました」
 とここまで読んだところで、僕は頭の中を整理すべく目を閉じた。 親友なにがしは、あまりにも浅はか過ぎるんじゃないのか。当時、吉原の太夫を身請けするには数億円かかったと言われる。もちろんトップオブトップの太夫は別格としても、花魁だって相当入用だったはず。それを、むざむざ手放してしまうとは。しかも奥さんがおかんむりだから出したはずなのに、近所の親友の所に置いてもらうって法はないだろう。それじゃ奥さんだっておさまらないと思う。「あたしの目を盗んで会うつもりなんだろう」「あたしが死んだらこっちへ戻す腹積もりだねっ」と、その後も喧嘩がたえなかったはず。
 それにくらべて先代の善兵衛は偉かった。元花魁を置くことについて、きっと家人らの反対があったにちがいない。それを抑える胆力たるやっ。そして口さがない連中が、きっと善兵衛と元花魁の中を疑るような噂をまいて囃し立てたことだろう。それが耳に入っても善兵衛はグッと呑みこんで、元花魁に笑いかける。「俺は俺の道を行く。あんたはあんたの人生を生きな。やつらが代わりに生きてくれるわけじゃねえんだ」と。まさに男気。
 うん。元花魁がこの家に来た経緯はわかった。けど、まだ女郎が出てきただけで、鰻屋も鰻もタレも出てこない。この先どうなる? もどかしい気持ちを抑えて、僕は老眼でかすむ目を凝らした。
「そして歳月は矢のように過ぎ去り……
  年を経るにつけ、兎角病床に親しみがちであった彼女がある時、善兵衛を枕元に招いて終生の恩返しにと花魁の生家に伝わる
  と言う、うなぎの蒲焼の秘伝極意を教え、これにまつわる悲願をかなえていただきたいと言い残して大往生を遂げたとの事で
  す。花魁が伝えた鰻料理だから“女郎うなぎ”と称し先考又心機一転事業を改めてこの元祖となり代々相次いで六代目の現当主に
  至ったしだいでございます(以上、原文のまま掲載)」
 元花魁、死んだか。小さいころから苦労の連続だったろうからなあ。
 おまけに実家が鰻屋だったとは。それにまつわる“悲願”とはおそらく、親が苦労の末にあみ出した鰻料理の技を後世に残して欲しいというものだろう。
 そう頼まれてしまったら、あれほど男気の篤い善兵衛が鰻屋にならないわけがない。きっと家人らの反対はものすごかったにちがいない。それを押し切って商売替えしてしまう胆力たるやっ。
 ただ“女郎うなぎ”という名前はどうなんだろう。秘伝極意を教えてもらった恩もあるし、ただの女郎ではなく花魁という上級ランクの遊女だったわけだし。まあたしかに“花魁うなぎ”と言われると、美味しそうではないかもしれない。料理名というより、殿様ガエルのような鰻の種類みたいだもの。だからと言って女郎呼ばわりするのは……。
 賛否が頭に渦巻く中で、鰻丼が運ばれて来た。
 うん……美味しい。
 名前になんの実(じつ)があるというのか。薔薇はどう呼ばれようとも薔薇なのだ。
 小川町には、ほかにも“忠七めし”という謎飯がある。見た目は、ただのお茶漬けだ。ところが日本五大名飯のひとつに数えられ、山岡鉄舟が開発にかかわった由緒正しいめしだと言う。五大名飯? 山岡鉄舟? 忠七って誰?
 これもかなり深い話になるのだが、本稿とは趣旨がずれるのでいずれどこかで。


【弁解あるいは激賞】
 問題になるとしたら下五の「味しない」だろう。
 説明するまでもなく「味しない」は「味がしない」という否定の意味ではない。そんな当たり前のこと訴えたくもないし、もしお重の蓋を開けただけで味がしたら味覚障害を疑ったほうがいいなんて警告したいわけでもない。そうではなくて「味しない?」と、同意をもとめているのだ。
 まっ赤に熾った炭の上で焼きに焼やかれた鰻と熱々のご飯を詰めこまれて、チンチンの煉瓦のようになった重箱。その蓋を指先で支えて開く。たちのぼる湯気。こうばしい脂と甘辛いタレの香りが混然一体となって鼻をくすぐる。そのとき口中では、もう鰻の味がしていませんか? してますよね! たしかにケチな人なら、これだけでご飯食べられちゃいますよね! 句意はそんなところだが、はたして口語体俳句になっているのか。
 口語体の要件となる「特徴的な文末表現によって、読み手とはまた別の誰かに向けて発話されたように感じられる句」という点は、クリアーしているように思う。
 より問題なのは、そもそも口語体が句の内容にふさわしいかどうかだ。ためしに他の形式で詠んでみて、比較検討してみよう。
文語体で詠むなら「鰻重の蓋あけしとき味したり」だろうか?
 だとすると、文語を使っても音数の節約には寄与しない。と言うか「味したり」だと、本当に味を感じるかのように聞こえるので、ニュアンスが違ってしまう。じゃあどんな表現をすればよいのかと問われると……やっぱり文語で伝えるのは難しい内容なのかもしれない。
ならば文章体で詠むとなると、「鰻重は蓋あけたとき味がする」かな。
 そうねえ。これも「味がする」と断定してしまっているので、なんか違う。「味するような気がする」くらいの感じなのだから。
 そうすると、こうした微妙な、もしくは屈折した心理にスポットライトを当てるような句は、口語体が向いているのかもしれない。なるほど、その派手な動きに目を奪われて気づかなかったが、バタフライ俳句の中には複雑で繊細な感情が隠されていたのか。

 私たちの“土用の丑の日に鰻を食べる”という習慣は、平賀源内が鰻屋のために考えた「本日土用丑の日」というキャッチコピーに始まるとされる。証拠はないようだが。
 源内の時代から、はや二百五十年。鰻屋さん、そろそろ新しいコピーに変えても良いころあいじゃありませんか。
「鰻重って蓋あけたとき味しない」
を、ぜひどうぞ。もちろん無料です。