自句自賛16

2024年8月2日

第16回自句自賛 ― このポリリズムを聞け


【本日の季題】 「花火」…今やゲリラ雷雨とセットとなった夏の風物詩


【本日の調理法・あるいは俳句ルールへのぼやき】
 本日は、花火をポリリズムの技法で調理いたします。
 その前に、ちょっとだけ経緯説明を。
ここらで過去作をふりかえって自分のクセや傾向をあぶりだし、ステップアップをはかったらどうだろう、なんて思いついたのである。
 じゃあ、どこをどんな手法で分析するのか。内容とか作家性(苦笑)を自分で論じても寒いだけだ。その寒いことを実際やっちゃってるわけだけど、僕は。でもここでは、そうした好みや印象といった曖昧な根拠に基づく評価ではなく、客観的なデータ分析をしてみたいのだ。
 野球にセイバーメトリクスなるものがある。たとえば一死一塁の場面で、二死になっても送りバントでセカンドに進めるほうがいいのかという問いに対し、過去のデータを集計して得点確立を算出し作戦を練るような、統計学的分析手法のことを言う。
 幸いなことに、俳句はデータ分析しやすい。例を挙げると「芭蕉の発句九八〇句のうち、ヤ・カナという切字を使った句は五六一句ある。実に、全体の57%を占めている。ゆえに芭蕉の句を論じる際に、切字の問題は外せない」という具合に。
 というわけで今回は五・七・五という形式、それから十七音という音数に焦点を当てて、韻律つまり詩的リズムについて分析してみようと思う。


 これまで披露した句は全部で十九句。そのうち五・七・五の定型から外れた句は八句ある。八句ぅ? 全体の42%もあるじゃないか! 自分ではなるべく定型を守ろうと努めたつもりだったのに情けない。
 その八句をここに挙げる。句の下に記載された数字は、形式(意味上の区切り)と音数だ。

「ひばり宣り続け 凡夫は草むしる」   八・九    17音
「燕風のごと吹き返し返しぬ」      八・九    17音
「ワル胡瓜の香々噛み〱黄昏」      九・八    17音
「月光を巻く波に乗りつ 潮騒」     五・八・四  17音
「夜長、星四千年流す長江」       三・七・七  17音
「蠍座天へ鯨のごとき島を釣る」     六・七・五  18音
「他人の女のくちびるに鱧息とまる」   六・七・五  18音
 「ソロおでん三日目はだかのチクワよけ」 九・九    18音

 なーるほど。ひとつ傾向が見えてきたぞ。形式という点から見れば八・九だったり三・七・七だったりと崩れているものの、音数は十七におさまっているのだ(芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という六・七・五の名吟がある以上、僕は十八音まではセーフだと思っている)。
 では形式が崩れているうえに音数まで逸脱している場合は、どんな感じに聞こえるのだろう。俳人の句を参照してみる。

 「頬杖の風邪かしら淋しいだけかしら」  五・五・九  19音
 「春は曙そろそろ帰ってくれないか」   七・十三   20音

 正直言って、なんか気持ち良くない。たぶん音数というのは、俳句のリズムを構成する要素の中で、想像以上に大事なものなんじゃないだろうか。


 とそこで、頭にポリリズム俳句というフレーズが浮かんだ。理由は説明できないが、急に浮かんできたのだ。たぶんリズムという言葉に引きずられたのだろう。で、なんかそれカッコ良さそうだな、なんて思った。
じゃあ詠んでみよう、となったわけである。
 ところが、僕には音楽の素養がまるでない。というより数学が大の苦手なのだ。経済学部卒で銀行員だったのに数学が苦手? と思われるかもしれないが、本当なのだ。とにかく数字が嫌いで、誰かと待ち合わせする場合でも、×時十五分とか、×時四十五分とか半端な時刻を指定されると、もうダメ。混乱してしまい、とんでもなく早く着いてしまうか間に合わないかのどちらかになる。だから音楽やお菓子作り、基礎工事の鉄筋張りといった数学的思考を要求されるジャンルには、できるだけ近づかないようにしているのだ。そんなわけだから、ポリリズム俳句を詠むと言ったって、肝心のポリリズムがなんなのか、見当もつかない。
 なら……調べるしかないか。
 ポリリズムとは、違う拍子が交ざりあうことなんだとか。
 実例を示したほうが分かりやすいので、定期的にCM使用される大滝詠一『君は天然色』の、Bメロに入るところを聴いてもらいたい。
 演奏は、
「タッタッタッ、タッタッタッ/タッタッタッ、タッタッタッ」
 と二拍三連なので(二拍の中に三連符が入る)、通常の一拍三連(一拍の中に三連符が入る)よりスローなペースになる。
 ところがボーカルは、
「わぁか、れぇの、けぇは、あぁぁ/いぃぃ、ぃぃぃ、おぉぉ、ぉぉぉ」
「(タタタ、タタタ、タタタ、タタタ/タタタ、タタタ、タタタ、タタタ)」
 と一拍三連で歌われるのだ。
 そうしてズレたまま同時進行する二本の拍子は、四拍目に一致する。この違う拍子が周期的に重なる感じが、音の厚みとグルーブを生むのだ(と、いま知った)。
 ただ、これは俳句には使えそうにない。一句の中に違う拍子を交ぜるなんて、どうすりゃいいの? あきらめるしかないか、と匙を投げかけたところで、新たな情報が飛びこんで来た。
 別の方法でポリリズムを生み出すこともできますよ。 
 うそっ、どんな?
 パート楽器ごとにサブディビジョンを変えて、おなじ拍子のフレームの中で複数のリズムを奏でればいいんです。
 うん……頭が爆発しそう。けれど、ポリリズム俳句の命運がかかっている、がんばろう。
 サブディビジョンとは、拍を分割することだ。その際、二の倍数で分割してゆくのが普通なのだが、たとえばシャッフルビートは一拍を三分割したうえで二:一に配分する。すると、二分割の「タンタン、タンタン」と、シャッフルビートの「ズーンタ、ズーンタ」は、拍子やテンポがおなじでもまったく違うノリに聞こえるのだ。それをもう一歩進めて、「拍子とテンポが変わらないのなら、一度に両方のリズムを奏でてみたら面白いんじゃないの」と、考える人が出てきてもおかしくない。
 で、実際にその二分割と三分割を複合させてしまったのが、クラシックの名曲・ラヴェルの『ボレロ』なのである。あのエキゾチックなメロディ「タータリラリララタッタララー」を担当する楽器は、拍を二分割するリズムで奏でられる。対してパーカッションは「タカタ・タカタ・タカタ・タカタ」と、拍を三分割するリズムで叩かれる。その二つが合わさることで曲の陰影が濃くなり、情感も豊かになるのだ。
 この方法こそが「複数の拍子が交ざるポリリズム」とは違う、「複数のサブディビジョンが交わるポリリズム」なのである。(以上、サブディビジョンポリリズムについては、音楽理論情報サイトsoundQuestを参考にした)
 なるほどぉ。拍の分割法を変えるのか。
 とそこで、見事にそれをやってのけた句を思いだした。
「ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪   久保田万太郎」

 僕らの身体には、遠い昔から歌い継がれてきた五七調や七五調のリズムがしみついている。だから「この道はいつか来た道」というフレーズも「雨音はショパンの調べ」というタイトルもスッと胸におさまるし、「セブンイレブンいい気分」や「海賊王に俺はなる」を耳にした瞬間おぼえてしまうのだ。
 ということは、俳句を前にしただけで僕らの頭には、無意識のうちに「五・七・五」の定型リズムが響いてくると想定してもよいのではないか。そうであるならば、自動演奏される「ルルルルラ・ルルルルルルラ・ルルルルラ」とは、違うサブディビジョンを作って重ねればいい。さきほどの久保マンの句は、自然と「ばか、はしら」でひと呼吸「かき、はまぐりや」でもうひと呼吸おくようになるので、「ルラ、ルルラ・ルラ、ルルルルラ・ルルルルラ」と割っていると分かる。
 デフォルトの「五・七・五」と久保マンの「(二、三)・(二、五)・五」は、どちらも十七音かつ拍とテンポはおなじなのに、ノリが違う。そんな両者が頭の中で重なりあって響くから、久保マンが腰かける鮨屋だか小料理屋だかのカウンターの白木のにおいや、硝子戸のすき間風の冷たさまで感じられるのだ。これぞポリリズム効果っ! だから音数は大事なのだとも、改めて感じた。

 そして、これは単なる思いつきなのだが、拍の分割を変えることにくわえて、拗音「ゃ・ゅ・ょ」や促音「っ」を入れたら、さらに変奏としての厚みが増すような気がする。
 日本語の音は高低強弱に乏しいだけでなく、おなじ間隔とおなじ音程で語られるので、きわめて平板に聞こえてしまう。陰影に乏しいのだ。そこで「カペッリィーニっ!」や「フェラァーリっ!」や「スタッカァートっ!」などドラマチックな響きが特徴の、イタリア語に倣おうと言うのである。
 それでは、花火をポリリズムで調理してみましょう。


【俳句】 「花火」で一句

「迫り来る火っ音っ火っかけらっ近花火」


【句の背景あれやこれや】
 俳句で花火を詠むとなると、音も届かぬ彼方に上がる“遠花火”や、しんみりと味わう“手花火”などは、なるほど俳味があって、題材にしたくなるのもうなずける。子規に「木の末に遠くの花火開きけり」があり、馬場移公子に「手向くるに似たりひとりの手花火は」がある。
 でも僕の記憶の中に開く火の花は、近いも近い、打ち上げ場所から数百メートルの距離で見たそれなのだ。


【弁解あるいは激賞】
 当句は、ポリリズム俳句の二要件のひとつ、十七音という音数はクリアーしている。あとは「五・七・五」をどう割って、それがどう響くかだ。ただし、なんでもかんでも割ればいいというわけではない。拍をそろえるためには、五・七・五のフレームは守らなければならないのだ。
 そこで「五・(一ッ、二ッ、一ッ、三ッ)・五」と分割したのだが……。
 それによって、フィナーレに打ち上げられた特大花火の光と轟音が、かけらを飛び散らせながら迫ってくる様子を、臨場感たっぷりに描くことに成功している。
 これはポリリズムを意識して初めて生まれた韻律ではないだろうか。