正しい食事法➀

2021年3月7日

【食事は社会を映す】

『天台小止観』という坐禅の解説書では、坐禅の事前準備として「調食・調眠・調身・調息・調心」の五つをあげている。
坐る前にまず正しい食事をし、正しく眠り、正しい姿勢と呼吸そして正しい心の置き方を身につけよと言うのだが、五事の最初に挙げられていることからも食事がいかに大事かが分かる。
というわけで、これから正しい食事とは何かについて考えてみたい。食事について考えるなら作り方と食べ方の両面からアプローチせねばならぬのが道理と分かっているが、とりあえず食べ方についてのみ論じることにする。


正岡子規は、数えの三十六で亡くなった。
結核菌が脊椎に入りこんで骨が腐り、背中や尻に穴があいて膿が流れ出す激痛に、子規は「たまらんたまらんどうしやうどうしやう」と涙を流す。そうして両の肺がほぼ空洞になって歯茎に滲む膿をぬぐいながらでも、子規は食うことをやめなかった。
これは死のちょうど一年前、明治三十四年九月十九日の食事である。

  朝飯  粥三碗 佃煮 奈良漬
  昼飯  冷飯三碗 堅魚のさしみ 味噌汁さつまいも 佃煮 奈良漬 梨一つ 葡萄一房
  間食  牛乳五匁ココア入 菓子パン 塩煎餅 飴一つ 渋茶
  晩飯  粥三碗 泥鰌鍋 キヤベツ ポテトー 奈良漬 梅干 梨一つ

その日、弟子の長塚節から鴫三羽が届いた。すると、あくる日の献立はこうなる。

  朝飯  ぬく飯三碗 佃煮 なら漬
  昼飯  粥三わん 焼鴫三羽 キヤベージ なら漬 梨一つ 葡萄
  間食  牛乳一合ココア入り 菓子パン大小数個 塩煎餅
  晩飯  与平鮓二つ三つ 粥三碗 まぐろのさしみ 煮茄子 なら漬 葡萄一房
  夜食  林檎二切 飴湯

あきれたことに三羽とも一人でたいらげてしまった。長塚は、子規と母八重と妹律の三人分のつもりで贈ったのだろうに。
子規本人が「食事は相変らず唯一の楽しみであるがもふ思うやふには食はれぬ。食ふとすぐ胃腸が変な運動を起して少しは痛む。食ふた者は少しも消化せずに肛門へ出る」と言うように、内臓はほとんど機能していない。それでも「さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または粥の上にかぶせて食ふ。佃煮も飯または粥の上に少しづつ置いて食ふ。歯は右の上の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ」と、食い続ける。
そして、ロンドン留学中の夏目漱石に宛てた手紙では「僕ハモーダメニナッテシマツタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ……」と書いたあと「倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」と訴えている。
寝たきりになって三年。病床からながめる小さな庭がすべての子規にとって、三度の食事は世界を見聞きし世の中と通じる手段だった。食には社会が滲み出してくるのである。


そうした食の社会性にいち早く気づいたのは、道元というお坊さんだった。道元は食事の前に唱える言葉を紹介し、広めた。その『食事五観の偈』は最初にこう唱え、念ずる。

   功の多少を計り、彼の来処を量る。

目の前の料理が出来上がるまでにどれだけの手間がかかっているのか、その食材がどんな来歴を背負っているのか、よく想像しなければならないと言うのだ。これこそが、私たちが食前に決まって唱える「いただきます」という発声の始まりなのである。