日本で使われている漢字には、音(おん)と訓という二つの読みがあります。「犬」という字でいうと、ケンが音(おん)で、イヌが訓です。
音(おん)は、中国から入ってきた発音。訓は、その漢字にあてはまる日本語のオトですね。
そこで戒名ですが、戒名は音(おん)で発音します。
と言うものの、お墓やお位牌に刻まれた戒名、なんと読んだらよいのか迷ったことはありませんか?
たとえば「明成令山信士」なんて戒名があるとします。難しい字はひとつもないのに、その読みかたは「ミョウ・メイ」×「ジョウ・セイ」×「リョウ・レイ」×「セン・サン」の組み合わせなので……正確にはわかりませんが、とにかくたくさんあるのです。
このように日本で使われる漢字には、複数の音(おん)を持つものが多いことは皆さんご存知かと思われます。
では、なぜ複数あるのでしょう?
中国から入ってきた時代がちがうからです。
奈良時代までに入ってきた発音が“呉音”です。ほとんどの漢字にある読みで、「行」という字ならコウがそれにあたります。
奈良時代から平安時代にかけて、遣唐使たちが長安で学んだ中古漢語が“漢音”。すべての漢字にあって、「行」でいうとギョウ。
鎌倉時代から江戸時代にかけて入った“唐宋音”を持つ漢字は、ごくわずかです。「行脚」でアンと読ませるなどです。
そして“現代音”もありますが、「炒飯」のチャーとか「餃子」のギョウザなど数個です。
というわけで、呉音か漢音か、どちらで読むのか、それが問題なのです。
そもそも、仏教語は呉音で発音するという原則があります。
「遺言」は、呉音なら「ユイゴン」で漢音なら「イゲン」ですが、仏教関連のことばは呉音で「遺教経(ユイキョウギョウ)」だし「御遺告(ゴユイゴウ)」だし「遺骨(ユイコツ)」なのです。現代では、遺骨はイコツと発音しますが、昔はユイコツでした。たとえば『平家物語』では、鬼界ケ島に流された俊寛が亡くなっていたと知った召使の有王は「俊寛僧都の遺骨(ユイコツ)を頸にかけ、高野へのぼり」と演じられます。
ほかにも、久遠はキュウエンではなくクオンだし、帝釈天はテイシャクではなくタイだし、須弥山はシュミサンではなくセンです。
でもそれが、こと戒名となると、あてはまらない例もあるから厄介なのです。
まあ、呉音で読むことが多いのは、たしかなのですが。
臨済宗を開いた栄西は、エイセイではなくヨウサイ。浄土宗の祖師・法然は、ホウゼンではなくホウネン。栂ノ尾高山寺の明恵は、アキエ……いやメイケイではなくミョウエ。チベットに潜入した河口慧海は、ケイカイではなくエカイ。
ところが、弘法大師の師匠の恵果は、エカではなくて漢音のケイカ。芥川賞作家の玄侑宗久さんも、ソウクではなく漢音でソウキュウ。と、漢音派もいる。
そこで、高野山管長を務めた松長有慶さんの著書を参考に、過去の真言宗の僧侶名の読みを調べてみました。
空海亡き後の高野山をまかされた真然は、シンゼンで漢音。
おなじく東寺をまかされたのが実恵で、ジチエと呉音。
のちに弘法大師の諱号を下賜されたことを報告するため、入定なさった大師のもとを訪れた観賢のお供をした淳祐は、シュンニュウと漢音(ニュウの読みは慣用音か?)。
そして、平安末期に高野の復興に努めた行明は、ギョウミョウと漢音+呉音なのに、おなじころ中院を再興して、今につづく中院流を開いた明算は、メイザンと漢音なのです。
というわけで、戒名の読みは、それを付けた和尚にしかわからない、というのが真相でした。
なので、戒名授与の際は、読みかたも明記しなければならないのです。