私たちは絶えずこれは良い・これは悪い、これは好き・これは嫌いと感じ、考えながら生きているが、その人が抱く価値観は、生きる時代や社会の影響を強く受ける。
だから同じ日本人と言っても、現代人と明治維新以前の人々では全く違う民族に思えるほど感覚がかけ離れているのである。
現代人に特徴的な価値観として、前回のオリンピックのくだりでお話した「整然と揃えられた一糸乱れぬ動きは美しい」という感覚が挙げられるだろう。
もちろん明治以前も動作をシンクロさせることはあった。舟を漕ぐ、田植え、麦打ちなどは、音頭に合わせて同じ動きをする。だがおそらく昔の阿波踊りは、今ほど一糸乱れぬ動きにはこだわらなかったであろう。その証拠として、幕末に来日した外国人の証言をあげる。彼らはこうこぼしている、侍たちに軍事調練を施そうにもイロハのイである行進すらできないと。江戸時代の日本人は、皆で手足の動きを揃えて歩こうなどと考えもしなかったのだ。
おそらく現代人の動きを揃えることへの異常なまでの執着は、明治以降に近代軍や工場で精密かつハイパワーなマシーンを分業で操作する必要から生まれ、内面化していったと推察される。
同じように、資本主義社会に暮らす現代人には「効率的なものほど良い」という意識が骨の髄までしみついている。
かく言う私もそうだ。僧侶になりたてのころは合掌礼拝の意味が理解できず葛藤した。
真言宗の修行は礼拝行から始まる。延々と五体投地を繰り返すのだ。その時私は、こんな体をいじめるだけで得る物のない苦行は早々に切り上げて実のある修行をしたい、と思った。
幕末に来日した外国人も、日本人のお辞儀に対して同じような感想を持ったとある。
彼らは一様に、日本人に対して「礼節をわきまえた丁寧な人たちだ。だが、その礼節の度が過ぎる」と感じた。
例えば、道で日本人同士が合うと延々お辞儀を繰り返す。挨拶が終わり別れた後もふりかえってお辞儀を繰り返す。一向に目的地に着かない。これは非効率極まりないことで、お辞儀は一度で済ませるべきである、と。また、館に来訪した侍たちが交渉事を済ませて退室する際、貴殿からお先に、いや貴殿からどうぞ、なんのなんの貴殿から、と延々先を譲り合って五分は出て行ってくれない。しかもそうした茶番劇を毎回演じるのだ。全く持って無駄なことだと憤慨する。
しかし彼らが半年、一年日本に暮らすと徐々に礼節に対する考えが変わってゆく。「彼らはとても情が深い人たちで、暮らしを楽しくする術を知っている」という風に。
私も同じような経過をたどったのである。
拝むことに疑問を感じた私は「おがむ」という言葉の語源を調べてみた。
すると「おがむ」の元になったのは「おろがむ」という言葉で、それは「おろ+がむ」から成り立っていた。「おろ」は折るが音便化したもの。「がむ」はぐむ=組むで、手を組む、手を合わせることだった。つまり腰を折り手を合わせる行為を表す。
ただし仏教的にはそれだけではなかったのだ。腰を折り体を折り曲げるだけでなく、自分という物を小さく折りたたんで脇に置く。そして手を合わせるように、拝む相手と一つになってしまうこと。それがおろがむという行為なのである。
そんな意識で拝んでみると、本当に不思議なもので、とても心が穏やかで軽くなった。
私たちは自分、自分という意識を強く持っている。持たねば生きてゆけない。でもそうして真面目に一生懸命生きれば生きるほど周りとぶつかり、他人と比べて嫉妬し、時に傲慢になり、孤独を感じて苦しくなる。
しかし拝む相手と一つになり、さらにその先にある大きなものに身も心もゆだねてしまうと、そこには傷つく自分も傷つける相手もいない、得るものもない代わりに失うものもないそんな世界が開けてゆくのである。
そしておがむ対象が多ければ多いほど、回数が多ければ多いほど人の心は安らかに豊かになってゆくのではないだろうか。
だから外国人は何度もお辞儀を繰り返す江戸の人々を見て、彼らが朝日を拝み野仏を拝むのを見て、暮らしを楽しくする術を知ると言ったのではないだろうか。
私たちは様々な偏った見方や考えに縛られている。そしてそれは往々にして私たちを苦しめる。ゆえに、そのくびきから逃れるために学び、拝むのではないだろうか。