自句自賛5

2024年5月14日

第5回自句自賛・季語「冷し中華」

解説:「冷し中華」は夏の季語。
他の冷たい麺、ザルソバ・ヒヤムギ・ソウメン・レイメンと比べると「ヒヤシチュウカ」は音数が1.5倍。六音もあるので、季語だけで句の35%を占めてしまう。ちなみにカペッリーニも同じ長さである。
長い季語は縮めてしまう、という手がある。ひとつは「アイスクリーム」を「氷菓(ひょうか)」、「エイプリルフール」を「四月馬鹿」と、意訳や直訳する方法。もうひとつは「寒晒心太」を「寒天」、「鍋焼饂飩」を「鍋焼」と省略するやり方である。
その伝でいくと「冷し中華」は「冷中」でも通じそうだが、ネットで「冷中」と検索すると“冷凍ホタテ中玉サイズ”あるいは“冷中(ひえあたり)”なる病名が(冷えが命中か?)ヒットする現状では難しいか。大変でも、冷し中華とまるごと入れるしかないようだ。
と心配したが、杞憂。呻吟することなくスッと出来た。

  「みんな居て冷し中華にむせた昭和(ころ)     陽高」

昭和の時代、通常の休日は大人も子どもも日曜日しかなかった。学校が土曜休みになったのは平成に入ってからで、完全週休二日制は平成14年以降なのだ。
それゆえ昔は、法事は日曜日と決まっていた。現在では平日に行うこともめずらしくなく、家族だけで営む場合は「来週、お願いできますか?」と、急に依頼されることもあったりして、時間にしても夕方四時から始まったりするのだ。
ところが二十世紀の日本では、法事とは一年ほど前から予定し、親戚一同を集めて日曜日に行うものだったのである。
私の実家は大きなお寺だったので、休日となると本堂で四、五件、それから自宅で営む方が二、三件と、それはそれは忙しかった。父と祖父だけでは回しきれず、近所のお寺のお坊さんを一人、二人、応援に呼ぶこととなる。そして母はお手伝いさんと手分けして、お檀家さんへのお茶出しや接待で走りまわる。そんな活気あるにぎやかな雰囲気が、私は好きだった。それにくわえて、お坊さんたちにふるまう店屋物のお相伴に預かれることが、この上ない楽しみだったのである。
注文は、中華屋『中央軒』ならチャーハン餃子もしくはカレー、蕎麦屋『都屋』ならカツ丼かざるそばと決めていた。で、夏場はそこに冷し中華が加わる。
私は、プラスチック製の丸くて平べったい朱色の器に入った都屋のそれが断然、好みだった。
あぁ、冷たくて甘酸っぱい汁よ。それは文字通り甘くて、そして酸っぱいのである。麺をすすると、強烈な酸味がツーンときてゴホッと咳きこむ。でも手は止まらない。ゴッホゴホむせながらすすり続ける。そうして最後に残った汁を慎重に飲み干して、ご馳走様だ。
冷し中華に限らず、お稲荷さんも酢味噌和えも、昔の酢はきつかった。酒が三倍増醸だったように、酢も何やら良からぬものをぶち込んだまがいものだったのだろう。
でも私は、そのまがいものが好きだ。今の酢はどれも、まる過ぎる。本物をうたった上等品も、普段使いのそれも、ましてや「やさしいお酢」と来た日には、まるで話しにならない。欲しいのはあの刺激なのだ。たとえ体に悪くとも、私は酸っぱい酢を愛する。でも、もうどこにもないんだなあ。
冷し中華は、もはやむせながら食べるものではなくなった。都屋も中央軒も、とうに店を閉めた。両親もお坊さんたちも、向こう側へ逝ってしまった。実家の庫裡も建替えられて面影はない。あの居間でみんなと過ごした夏がなつかしい。


句を褒めよう。
文語調で「……ゐて……し昭和」と詠んでもよいような気がするけれど、「むせる」の古語は「むせぶ」なので「みんなゐて冷やし中華にむせびし昭和」と字余りになってしまう。意味のない字余りは避けるべきなので、口語を選択したことは正解だろう。
また、「昭和」と書いて「ころ」と読ませるのは、「本気」と書いて「マジ」あるいは「宿命」と書いて「さだめ」なんて読ませることを嬉しがった昭和の時代をふまえた、心憎い演出だ。
草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を彷彿させる名吟……は、ちとほめ過ぎか。昭和も遠くなりにけり、である。