自句自賛6

2024年5月22日

第6回自句自賛・「当季雑詠」其の一   要注意!春を急がす俳句界

【季語注釈】
遅ればせながら、頭の整理がついた。句の作りかたには二通りあるのだ。うん、本当に遅いけど。
自分で選んだ季語や内容を詠むのが「自由詠(雑詠)」で、提示された題をもとに詠むのが「題詠」である。題として出されるのは季語が多いものの、“家族”や“老い”なんてテーマだったり、“正”という漢字を入れで詠めなどと無茶ぶりされることもあるらしい。
それからすると、この企画は自分で季語を出題するので「自由題詠」だけれど、たまには今現在に季節を限定する「当季雑詠」に挑んでみようかな。
まずは、当季を詠むのだから、今がどの季節なのか分かっていないと。ほほう、俳句の世界では、二十四節気をもとに季節を区切るのか。立春から立夏の前日までが春、そこから立秋の前日までが夏、立冬の前日までが秋、立春の前日までが冬なんだと。
んっ待てよ、そうすると本稿執筆日は4月29日で立夏は5月5日だから、あと六日したら春の季語は使えなくなっちゃうじゃない。夏なんて、8月6日には終わっちゃうんだよ。だいじょうぶか俳句界? まあたしかに、たくさんのデコボコ・利害・清濁を呑みこまないと自然界に線を引くことなんてできないのだから、仕方ないけどね。
今年の春は、あと六日。ならば行く春を惜しみつつ、当季の景物を詠み尽くしてしまおう。というわけで、二句続けて掲載する。


「  鶯のケキョほめちぎり「切」ボタン     陽高」


【句の背景】
鶯は、本当に良いノドをしている。終演間際の能舞台に響く笛のように、澄んで良く通る声だ。そいつであの「ケキョケキョケキョ」という谷渡りを、しかもながーく引っ張られた日には、どうしたって聞き入ってしまう。鳴きだすたびに「いい声だなーっ」とひとりごちて、仕事の手が止まるのだ。
そうやって生き物の存在を感じていると、独りでいてもさびしくない。さらに言うと、それは命のぬくもりを持たない日月星辰でもおなじで、かつて李白は「月と影とを伴うて行楽すべからく春に及ぶべし」と独り飲みを楽しみ、平賀元義は「大公(おほきみ)の御門(みかど)國守(くにもり)萬成坂(まなりさか)月おもしろしわれ一人ゆく」と、女郎屋までの暗い道のりを鼻歌交じりに歩いた。敬愛する野尻抱影先生は、南アルプスの谷川に寝転んで夜空をながめていたら、ふと山奥に一人なんだと気づいてにわかに心細くなった。が、山峡に青白く輝くヴェーガを見つけて、「お前、そこに来ていたのか」と、頬をゆるめたのだそうだ。
そのように大自然がもたらしてくれる安らぎは、残念ながら人工的環境からは生まれない。生まれないどころか、歴史も浅くなんの思いも込められていないしろものの、あまりの空虚さに慄然とした経験がある。
ある金曜日、ゆえあって横浜に泊まらなければならなくなった。あわてて宿泊先を探したが、どこもびっくりするくらい高い。そんな中、高島町駅を最寄りとする格安ホテルを見つけた。高島町? 知らないなあ、と住所を見れば“みなとみらい”とある。そこって、夜景がきれいなおしゃれスポットなんじゃないの。しかも高島町駅って横浜駅と桜木町駅のあいだなんだ。泊まらせていただきます。
夜七時過ぎにチェックインして、どこかでご飯を食べようとホテルを出たのが八時前。いきなり不穏な空気が漂う。あたり全体が暗い。街灯はついているものの、高速道路と電車の高架が壁となって二方向をさえぎり、残りの空間はやたらデカくて愛想もなにもないビルが背を向けてならんでいる。そのビルの灯りはほとんど消えており、ひと気がないのだ。まだ八時だよ。いくら働きかた改革と言ったって……。
あてもなく歩きだす。それにしても、人いないなあ。会社帰りとおぼしき数人が、足早に駅へ向かうのが見えるだけ。角を曲がる。さらに暗い。闇に赤ちょうちん一つ灯らず、虚ろな目をした巨大なビルがぼおっと佇っている。なんだこの街は、実質的な廃墟じゃないか。黒くモヤモヤしたものが喉の先まで湧いてくる。そのワンブロック、八百メートルほどを一周する間に見た人間は一人。車は、仮眠中のタクシーと休憩中の清掃車の二台きりだった。
私はホテル脇のコンビニで、とろろ蕎麦を買って部屋に戻った。
災害や戦争で瓦礫となった街を見てショックを受けるのはわかる。でもまさか、窓ガラス一枚割れていない街から、ここまで心を傷つけられるとは想像もしなかった。
警告。テクノロジーこそが人類を希望にあふれる未来へ導いてくれると信じる人は、一度“みなとみらい”へ行ってみるといい。夜に。きっと、みらいが見えるよ。


【句評あるいは激賞】
句褒めを手短に。
説明不要、ストレートな自然賛歌である。
ふふっ、表記を工夫したな。カギカッコの中に“切”と入れることで、それが機械のスイッチだと視覚的に分かる仕掛けだ。
その機械が掃除機でも、草刈り機でも、テレビでも、スマホの呼出し音でも、そんなものは全部切ってしまって、皆で鶯の歌を聞こう。