質問「お塔婆って何ですか? どんな意味があって建てるのですか? の続き」
回答「前回は柱(塔婆)を建てるという行為に込められた意味についてお話しましたが、今回はお塔婆のお塔婆たるゆえん、板に入るギザギザの切れこみの意味についてお話します。
ちなみに塔婆はその切れこみによって、下から四角形、丸、三角形、半月、宝珠と、串に刺したおでんのような形をしています。
ご存知のように、卒塔婆とは仏塔を意味するストゥーパの音写です。
仏塔の起源は、遊行に出たブッダの代わりにその髪を納めて拝んだ塔だと言われます。そして涅槃後は遺骨を納めた塔が造られました。そのように塔とは空間的または時間的な隔たりを飛び越えてブッダにまみえるための装置であって、墓標というよりブッダそのものでした。
やがて『涅槃経』が成立するころになると“自らが仏塔のようになるべきだ”と説かれるようになります。そうやって舎利を拝むことから内なる仏性を発現させるための実践重視へと意識が変化するのにともなって、仏塔は修行のシンボルとなっていったのです。
一方、真言宗を開いた空海は“多宝塔”なるものを創出します。
多宝塔とは宇宙を意味する五輪を立体的に表現すると同時に、宇宙と一になる悟りに到った人を表した塔です。元になったのは、密教経典『大日経』の“自らが五輪となることを観想せよ”という実践行ですが、五輪と悟りの姿と仏塔とを結びつけるという発想は空海のオリジナルでした。
そして多宝塔を石塔に写したのが五輪塔です。ちなみに多宝塔と五輪塔との相似ですが、一階部分が方形、亀腹と二階円筒部分が円形、屋根が三角形、二階屋根下の組物が半月形、相輪が宝珠形にあたります。
やがて鎌倉時代以降から、悟りのシンボルであった五輪塔が墓標として建立されるようになります。更にそれを板の平面におきかえたのが五輪塔婆なのです。
というわけで、インドでも日本でも仏塔とは心を鍛える実践修行のシンボルでした。
真言宗中興の祖である覚鑁は、五輪塔に行者の身体を重ね合わせた図を示しています。それをもとに塔婆を読み解いてみましょう。
四角形は五輪では地にあたり、身体では結跏趺坐を組んだ行者の脚に相当します。まるで大地のように揺るがぬ禅定です。外一切善悪の境界において心念おこらざるを坐、内自性を見て動ぜざるを禅となす。
丸形は五輪では水にあたり、身体では布袋和尚のような太鼓腹にあたります。呵呵大笑が理知の壁を溶かして、自我や正誤と分けごとをする癖を和らげる。そんな澄んで平らかな心には相手の月(慈心)が映りまたそこには自分の月も重なって見える、水月の道場が現れてくる。
三角形は五輪では火にあたり、身体では燃えるような発心を抱く胸にあたります。修業には常に初心で臨む。
半月は五輪では風にあたり、身体では何事もどこふく風の涼やかな顔。風吹けども動ぜず天辺の月とばかりに、毀誉褒貶に惑わされないこと。
宝珠は五輪では空にあたり、身体では空っぽの頭にあたります。考えること、分けようとする思いが止む時、廓然無聖、秋の空のように澄んでどこまでも高く広々とした境地に至る。
このような小難しい理屈は忘れても、涼やかな顔、水のような腹とイメージすることは容易いでしょう。そんな身体を目指して修行する誓いであり手引きとなるのが、お塔婆なのです」