仏事の疑問⑤

2020年12月27日

質問「ちかごろ葬儀のやり方がだいぶ変わってきました。どう思いますか?」

回答「葬送法は時と共に変わってゆくものです。でも、守ってゆきたいことはあります」

理由「例えばお墓の形式は、世につれどんどん変化します。
 古来より、土葬が多かったこともあって、個人ごとに埋葬しその塚の上に塔婆や石碑を立てる形が一般的でした。それは明治時代まで踏襲されます。例えば正岡子規のお墓は、真ん中に子規の細い石碑が立ち、その左手にお母さんの細い碑が、右手に妹と郷里より移した先祖を祀る碑と、三本の石碑が並んで立っています。
 その後、大正時代くらいから“○○家の墓”と刻んだひと棹の下に家族が眠る形が流行し、現代に至ります。
 最近は“樹木葬”といって石の代わりに樹を植える形が広まってきましたが、実は大変に古い形がリバイバルしたと見ることもできるのです。奈良時代の律令に“これ以降、塚に樹を植えてはならない”という変てこな法律が出てきます。というのも、日本でも中国でも大昔は樹木葬が一般的だったからです。
 同じく葬送法も変わります。例えば現在の葬儀では棺をお花でいっぱいにする“お花入れ”という儀式を行いますが、それが始まったのが明治時代。先ほどの正岡子規は随筆に書いています、郷里の松山では座棺(座って入る棺)で、中の遺体が動かぬようおが屑を入れた紙袋をすき間に詰めたと。ところが東京に出て友人の葬儀に立ち会ってみると、おが屑の代わりに樒を詰めた紙袋だった。さすが東京はあか抜けたことをする、と感心しています。それから二十年ほどたって夏目漱石が知人の葬儀に出た際は、寝棺(現代の寝て収まる棺)の中に菊を供えたとあります。そして「有る程の菊投げ入れよ棺の中」と詠みました。西洋の風習を真似たお花入れのはしりですね。
 ただそれとても、五万年ほど遡ったネアンデルタール人は埋葬した遺体の脇に花を供えていたそうですから、古い古い形が復活したと見ることもできなくはないでしょう。
 このように葬送法は時と共に変わります。でも変えずに守りたいこともある。そのお話はまた次回」