自句自賛1

2024年4月17日

私は流行を追わない子だった。
みんなが「ヨーヨー」「次はスーパーカー」「今どきは怪獣カード」「スターウォーズ!」と熱をあげるなか、ランボルギーニ・イオタとランボルギーニ・ミウラのちがいを知りたいとは思わなかったし、ウルトラマン一家にちぎっては投げられ、ちぎっては投げられしてきた怪獣たちの遺影を集めたいと願うこともなかった。
単に無気力なだけだったんじゃ? と疑われるかもしれないが、そこは否定したい。
だって、小学三年生で戦国合戦の虜になり、関連書を読みあさっては関ケ原で家康を打ち負かすための戦術研究に明け暮れたし、永谷園のお茶漬けを毎朝すするという苦行に耐えて、オマケについてくる北斎や広重の浮世絵をコレクションしたりもしたのだから。
そんな風に人並みには好奇心や収集欲はあったのに、どうして流行にだけ背を向けたのか?
ひとことで言うと、ひねくれた子だったのだ。とにかく誰かに、ああしろ、こうしろと指図されるのが大嫌いで、命令されたとたんやる気が萎えてしまう。「今やろうと思ってたのにぃ言うんだもんなぁ」というやつだ。そんな子にとって流行に乗るというのは、「これで遊びなさい」「こうやって楽しむんだ」と誘導された通り動くロボットになることにほかならなかったのである。

そんなヒネた性格は、五十年たった今でも変わらぬままだ。
正直に告白すると、「ヘソ曲がりはやめて、笛を吹かれたら素直に踊ったほうが楽しいだろう」と、悪魔のささやきが聞こえることもある。
でもグッとこらえて、自分に言い聞かせるのだ。考えてみろ、やたらオススメしてくるネット広告を一度でも開いたことがあるか? レコメンドされた動画や音楽を試してみて、ツボを心得てるなぁと感心したことがあったか? ああいう的外れなオススメをスルーするのと同様、たいして興味のないものを、流行っているからという理由で追いかけるいわれはないっ!
まぁ、そうした偏屈なふるまいは、場をしらけさせてしまうし、世間と摩擦を生むことだってある。でも見方を変えればそれは、空気に流されない、長いものに巻かれない、権力に屈しないというパンクな精神であって、仮面の下に私利私欲を隠した権力者やラウドマイノリティに引きずられないために必要な態度なんじゃないだろうか。

ただ……弁解する訳ではないが、ブームが過ぎ去ったあと突如、興味がわいてハマることはある。それはセーフでしょう。
思い起こせば、私の中で、にわかに水木しげる先生熱が高まったのは、『ゲゲゲの女房』が放映された五年後だった。昨年は思いがけず、タピオカミルクティー・ブームが到来した。ほとんどの専門店は潰れていたけど。そして今、断然キテルのが俳句だ。
俳句ブームは、ひょんなことから句会を主宰せねばならなくなったことから火がついた。常識で考えて、どれほどの誤解と偶然が重なったとしても、句会を主宰するなどという事態は起こらない。が、起こってしまったのだ。ただ、そうなったところで、私は俳句を詠んだこともなければ、まして句会に出席した経験などあるはずがない。そこで付け焼刃で勉強を始めた。で、手にした『句会の練習帖(井上弘美・岸本葉子著)』が蒙を啓き、句作の楽しさを教えてくれたのである。
私はずーっと、俳句というのは詠みたいことがあってはじめてひねり出すものだと思っていた。だから、古池に蛙が飛びこむのを目撃するといった、俳句にふさわしい出来事に出くわすことなんてまぁないし、仮に何か特別なことがおこったとしても、それを俳句に仕立てたいという発想自体わいてこないのだから(感動するほど美味しいうどんを食べて、では、ここで一句とはならないように)、一度も作ったことがないのは当然だったのである。
ところがお二人は、季語から発想して句を詠むことだってできるよ、とおっしゃるのだ。そのひと言で私は、目の前の霧が晴れ、肩の力が抜けた。何か深いテーマを見つけなければ小説は書けないと思いこんでいた文学青年が、小説は内容だって表現だって自由でいいんだと、気づいた時のように。

で、詠んでみた。
季語から何が浮かび、そこにどんな感情が動くのか? その情景のどこを、どう切り取って見せるのか?
句を作ろうとする中で、記憶の底に沈んでいた体験が、ふとよみがえることがある。それをなんとか五や七のフレーズに落としこんでゆく。すると当時は素通りされ、言葉ではすくい取られなかった感情や情景が、作品となって新たに立ち現れてくるのである。それは一度しかない人生を二度、三度生きるようなものなのだ。
また、季語に導かれて思いがけぬ角度から詠んだ句が、自分の知られざる一面を見せてくれることがある。こんなことも考えていたのかという新鮮な驚きをもって、自分と向き合う体験を、俳句が取り持ってくれるのである。
なんだか句作って、すごく禅的。坐禅みたいだなあ。
以来、俳句ブームの中でたくさんの句が生まれたのだが、どこにも発表する場がなく、ゆえに誰も褒めも貶しもしてくれないので、この場を借りて発表および解説(激賞)を行うことにした。言わば自句自賛である。



  

   第1回自句自賛・季語「鹿」

解説:鹿は秋の季語。和歌では、哀れを誘うその鳴き声を詠まれることが多く、もみじや萩と共に描かれるのが定番だ。そして「小牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ……」「八峰越え鹿待つ……」「小倉の山に鳴く鹿は……」「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の……」と、舞台はしばしば山中に設定される。
そこでこの一句である。

 「処分場 可燃の山に 鹿のむくろ     陽高」


二十年ほど前まで、お寺で出たゴミは自坊の焼却場で燃やしていた。ところが環境問題が深刻化して、それも出来なくなった。そこで魂抜き(撥遣という)した御位牌や卒塔婆は、60㎝以下まで細かくして処分場に持ちこむのである。
つわぶきの黄色が鮮やかさを増し、秋も深まってきたある日の午後、半年分の焼却物をトランクに積んでクリーンプラザへ運んだ。
いつものように二階の可燃ゴミ投入口に車をつける。と、異様なにおいが。なんだ? ゴミ処理場なのだから当然においはある。でも、それとは違う、神経を緊張させるような強烈なにおいが、構内に満ちていたのである。
いぶかしがりつつ、古塔婆を抱えて投入溝の縁に立つと眼下に……鹿のむくろが横たわっていた。淡褐色の毛並みもつややかな、立派な鹿だ。銃で仕留められたのか、ワナにかかって力尽きたのか、車にはねられたのかわからないが、キョロッと剥いた黒い瞳は虚空を見つめたまま動かない。
この鹿は、奥山ではなく可燃ゴミの山に埋もれて、焼却されるのを待っている。鳴き声のかわりに強烈な異臭を放ちながら。
これが、句のもとになった経験である。
鹿といえば、信州は白駒池を訪ねた際、小糠雨降る山道で出くわして、しばし見つめあった小鹿との美しい思い出なども浮かぶけれど、あのとき処分場で感じたモヤモヤは今でも心をざわつかせてやまない。

で、句の評価を。
なんと言っても、中七の「可燃の山に」がお手柄である。短いフレーズにギュッと情報を詰めこみ、かつ古歌と対比させることで現代社会が抱える問題を浮かび上がらせている。お見事。
また、下五が字余りとなっているが、その引きずるような口ぶりが、作者の心に澱となって漂うモヤモヤを暗示させる効果を与えている。
歳時記の鹿の項に、新たに加えたい佳句である。