仏事の疑問➈

2021年1月31日

質問「墓石の脇に、埋葬者の氏名や戒名を彫った石が建っています。
   そこには“墓誌”または“墓碑”と銘打たれていますが、どう違うのですか?」

回答「墓碑が正しい名称で、墓誌と彫るのは間違いです」

理由「墓誌というのは、それが誰でどんな人物だったかを記し遺体と共に埋める石です。あの世へ持ってゆく紹介状ですね。地下に埋めるので持ち去られたり壊されたりする心配がないかわり、誰も読むことができないのが難点。
そこで皆が読めるよう地上に建てたのが墓碑なのです。だから墓石の脇に建てるなら墓碑と刻まねばならず、墓誌と刻んだなら埋めなければいけません。
土中に眠り続ける墓誌は、のちのち貴重な資料となります。たとえば2004年に西安近郊で古い墓が見つかった際、埋葬者が1300年前に36歳で亡くなった日本人留学生・井真成であることがわかったのは墓誌が一緒に掘り出されたからです。あるいは、奈良で発掘された太安万侶の墓誌によって『古事記』序文の偽書疑惑が晴れた例もあります。
そんな風にけっこう役に立つ墓誌ですが、あらゆることを中国に倣う時代が過ぎると日本ではほとんど作られなくなりました。でも墓碑はちょいちょい建てられ、そこに銘が刻まれることもしばしばでした。銘とは故人をほめたたえる韻文で、銘までついているものを墓碑銘・墓誌銘と呼びます。
銘を作ることを“銘を撰す”と言って、有名人に依頼するケースも多く見られます。夏目漱石の『吾輩は猫である』には、苦沙弥先生が親友だった曽呂崎(天然居士)の墓碑銘に頭を悩ますシーンがあります。それは初め「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」だったものが推敲され「空間に生まれ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士あぁ」に落ち着く。このように銘は他人が書きます。そりゃそうです、本人は亡くなっているのですから。
でも正岡子規は生前、自分で作っておきました。銘の最後は「……享年三十□月給四十円」と結ばれます。彼が心血を注いだ俳句研究については一切ふれていませんが、西洋のリアリズムを取り入れて江戸俳諧と決別したという短絡的な解釈をその滑稽味においてしりぞけ、病に苦しみながらも“平気で生きた”生涯が淡々とした語りに滲む名文です」