2022年10月22日

 子どものころは一日中、テレビばかり見ていました。70年代のテレビは本当に面白かったのです。
 今はなき二時間サスペンスも、母親が好きだったので、見るとはなしに見ておりました。すると劇中、刑事がよく「犯人は犯行現場に戻ってくる」と言うんです。で、本当に戻って来たり、現場の写真に写りこんでいたりして捕まってしまう。それを見るたび、そんなことある? と疑問に思ったものです。だって誰が考えてもリスクが大きすぎますもん、戻るなんて。
 ところが私は近ごろ、しきりに拝むという行為について考えるようになりました。僧侶にとって礼拝は原点ですから、出家してかれこれ四半世紀、出発点に立ち返る時期がきたのかと思ったりして、なんとなく犯人の気持ちがわかりかけた今日このごろです。
 そんな中、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の朗読を耳にして、この詩もまた拝むという視点から味わうことができると気づいたのです。
 あの詩には賢治の願いが込められています。要約すると「体は頑健であって欲しいが、あとは全く世の中の役に立たない人でいたい」となります。詠んだのは亡くなる約一年前で、すでに病に倒れ遺書までしたためたあとですから、丈夫な体が欲しいという思いが切実だったのと同じく、役立たずでいたいというのも心からの願いだったと推察できます。
「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
 この詩自体は教科書にものっているので皆が知っていますが、賢治がなりたがったデクノボーにモデルがいたことは、それほど知られていないのかもしれません。

 賢治は熱心な仏教者でした。そしてこの詩も仏教の教えが下敷きになっています。
 たとえば詩中の「欲ハナク 決シテ瞋ラズ …… ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」は、仏教が説く“貪瞋痴”という苦しみの元となる三つの毒をふまえたものです。貪はもっともっとと、欲望が際限なくふくらんでゆく心の働き。瞋は思い通りにならないことを憎み、怒りが抑えられない状態。痴は真実が見えず、本当のことを見ようとせず、苦しみを抱えてあてどなく闇をさ迷うこと。賢治はそれら三毒を超克したいと願ったのです。
 そしてデクノボーのモデルは『法華経』の中にある常不軽菩薩ではないかと言われています。どんな菩薩かと言うと、相手の年齢がいくつだろうと、男でも女でも、貴賤貧富の差なく、誰に対しても「あなたを敬います」と礼拝する。でもそれだけしかしない。教えを説くことも、人を助けることも、読経も瞑想もせず、ただひたすら礼拝する。そして自分をバカにする人も、眉をひそめる人も拝むので、神経を逆撫でされた相手に棒でぶたれたりする。するとツーっと逃げて、また礼拝する。向こうはよけい腹をたて、石をぶつけてくる。すると石が届かないところまで逃げて、また礼拝する。相手は地団太踏んで「この役立たずのデクノボーっ!」と罵る。と、声が聞こえないところまで離れて、また拝むのです。
そして拝むたびに語りかけます、「私はあなたを敬います。皆があなたを悪く言ったとしても拝みます。あなたが私を傷つけたとしても拝みます。あなたが絶望し、何も信じられなくても拝みます。なぜなら、あなたは今、仏となる道を歩まれているからです」と。

 賢治がなりたかったデクノボーとは、いったいなんだったのでしょう?
 世の中の役にたたないということは、逆に言えば世間的に役に立つ様々な力、たとえば権力や財力や腕力や能力などを持っていない、持たない、拠り所にしないというです。では、何を拠り所にして生きようというのか? それを考える際、良い補助線となってくれるのが茶の湯です。
 茶の湯の祖・村田珠光は、お茶の極意は「痩せて冷えて枯れた」ものの中に美を見出すことだと言いました。随分とひねくれたことを言いますよね。だって、みんな痩せたものより豊かなものを好むんですから。冷えたものより温かなものを、枯れたものより生命力の強いものに惹かれる。そう、力が欲しいのです。
 でも、考えてみて下さい。薫風にそよぐ新緑はやがて木枯らしに散り、温かなお茶はいつの間にか冷めて渋くなり、月は欠け、人は老いる。なぜなら、あらゆるものの本質は弱くて脆くてはかないからです。ゆえにうつろう。だからそのうつろいそのものを愛でようというのです。満開の桜や澄んだ空に登る満月といった一部ではなく痩せ冷え枯れまでふくめた全体、自然という大きなものをまるごと味わう。そう、それが自然ではないかと。それが茶の湯なんだと。

 デクノボーも同じではないかと思うのです。
 拝むというのは、腰を折るように自分というものを小さく折り畳んでしまい、手を合わせるように拝む対象と心を合わせひとつになることです。すると向こうに大きなものを感じる。そして自分はその大きなものと常につながっていること、その一部であること、そのものであることに気づく。そうした大きなものを仏と呼ぶのではないでしょうか。
 自分を傷つける相手を拝むと、相手が大きなものと一体化して、自分もそこに重なる。だからみんなが一緒に仏となる道を歩んでいると思える。
 ああしたいこうしたいだけではなく、全体を受け容れる。

 この社会において自分の思い通りに生きよう、偏った見方という注意書きは必要ですが、良い生活より良い生活をしようとするならば、様々な力が必要です。いつ頃からか書籍のタイトルに『聞く力』だの『悩む力』だの『断る力』だの、中には『段取り力』や『老人力』なんてのもあるほど、やたら力という言葉が付くようになりました。それは国力が衰えつつある日本において、皆が不安をふり払おうと力を求めていることのあらわれなのかもしれません。
 ちなみに近代資本主義と近代組織の原型となったアメリカ・マサチューセッツ社会の基本デザインは「純潔・力・自由(ピュリティ・パワー・リバティ)」でした。他の権力からの自由と信仰の純潔を守るには強い力がいる、というわけです。
 でも、それでは次々とわき起こってくる不安に抗えないこともまた事実です。たとえば、強大な権力を手にした独裁者が疑心暗鬼に駆られて粛清を繰り返し、権力の座にしがみつき、孤独で怯えたまま亡くなることがよくあるように。不安は、権力や財力や腕力ではおさえこめないのです。
 だから力だけを求め、すがるのではなく、大きなものを拠り所とすることも大事なのだと思います。 私もまだまだ様々な不安や苦しみを克服することはできません。でもきっと常不軽菩薩がそうなさったように礼拝を繰り返すことで、大きなものをありありと感じることができるようになると信じて今日も手を合わせます。


なんたる偶然か九月の後半、エリザベス女王に安倍元首相と、滅多にあることではない国葬がたて続けに行われました。女王のそれが彼岸入りの前日で、元首相が彼岸明けの翌日と、ちょうど秋の彼岸会を挟むようなかたちになったので「ほほぅこれは」と、ひとり感心しておりました。日本国政府はいざ知らず、イギリス人がお彼岸を避けるいわれもないので、この日程こそ全くの偶然でありましょう。あたりまえか。
さて、このたびの国葬には様々な意見が出ましたが、日ごろ葬儀にたずさわる者として、私はそれぞれの式次第とそこに込められた意図という角度から考えてみます。

エリザベス女王の葬儀は、宗教と軍事という二本の柱で構成されていたように見受けられます。
全体を通して強調されたのは、女王の信仰です。イギリス国王はイギリス国教会の長も兼ねるので当然とも言えますが、式場はウェストミンスター寺院、進行はホイル主席司祭、そしてたくさんの聖歌が奉唱されました。参列した各国要人の席順についての報道がなされなかったのも、神の前では皆が平等という理念からだと言われます。
そして信仰と同じくらい濃く漂っていたのが軍事色でした。王室を離脱したハリー王子が着用を許されず、モーニングでの出席を余儀なくされた件で注目を浴びたように、チャールズ国王やウィリアム皇太子など王族はみな軍服でした。
おそらくそれは、高い地位にある者はそれに応じた責任と義務があって、その最たるものが兵役だというノブレス・オブリージュの表明なのでしょう。とはいえ、イギリスの国葬と軍事が直結していることは紛れもない事実です。
たとえば国王以外で国葬の対象となった人物に、ウェリントンとチャーチルが挙げられます。ウェリントンはナポレオンを破り、チャーチルがナチスに勝利したように、国を守った英雄というのが選考基準となっているのです。
以上、イギリス国葬を儀礼面から読み解いて見えてくるのは、大英帝国を支えているのはキリスト教と軍事力だという信念ではないでしょうか。

では、日本の国葬はどうだったのか。
日本国憲法では政教分離がうたわれていますから、宗教色を出すわけにはいきません。かといって単なるお別れの会形式では国葬としての重みが出せないし間ももたないと心配したのか、軍隊葬とでも言うべき形でした。
式中で儀礼と思われるのは、武道館のガラス窓を震わせた弔砲十九発、軍楽隊による国家奉奏、儀仗隊の捧げ筒、ほかは黙祷と献花でしょうか。改めて見ると、かなり軍事の印象が強かったように思われます。まあそれはそれとして、問われるのは、その儀礼にどんな信念が込められているのかということです。
どう考えても平和憲法を掲げる国家にふさわしい表現とは思えません。まして国葬を行うにあたり、テロという暴力に屈しないという理由をあげたのであればなおさら、力に対して力で立ち向かうのではないと、なにか別の形で表明できなかったのだろうかと残念でなりません。
もちろん、これはあくまで儀礼としての話で、現実世界はまた違うことは承知しています。だからこそ国会を開いて議論を尽くし、正当な手続きを経て意思決定することがなによりも大事なのだと思ってやまないのです。


現代人はヒマである。そしてそのヒマを持て余している!
そんなことない朝から晩まで働きづめだ、と反論なさる方も大勢いらっしゃるだろう。でも朝ごはんの仕度をするのに井戸の水汲みから始めた時代と比べると、生存のために割かねばならない時間はぐっと減った。自由に使える時間はグンと増えたのである。
けっこうなことじゃないと思うかもしれないが、喜んでばかりもいられない。たとえば近ごろ理想の生き方として喧伝されるFIREは、若くて体の動くうちに大金を貯めて引退し運用益で生活しながら自由を満喫しようというものだが、見るとこれがあまり楽しそうではない。時間はあるんだから、今までできなかった好きなことをするぞッ! と意気込んでロードレーサーを買いこみ、サイクルウェアに身を包んでヘルメットをかぶりサドルにまたがる。海まで漕いで、しばらく浜辺でぼおっとするが間が持たず、予定よりずいぶん早く帰宅する。ネットフリックスを見る。アマプラ、Hulu、ユーネクスト、ディズニープラスを見る。音楽を聴く。雑誌をめくって海釣りでも始めてみようかと思う。ならばボート二級免許を取った方がいいか。市民農園を借りて野菜作りを始めるのも悪くないな……はぁー。
みんな気づいてしまうのだ、湯水のごとく時間をかけて“したいこと”や寝食を忘れて没頭する“好きなこと”なんてなかったのだという恐ろしい事実に。
FIERほどではなくても、みんながヒマを持て余している。その証拠に今日一日、電話をかける目的以外で何度スマホを覗いたかカウントしてみてほしい。何回ヒマだなぁと感じただろう。人は退屈に耐えられないのだ。現代人は「短いはずの人生で、どうやってヒマつぶしすればよいのか頭を悩ませる」という、悲しくも滑稽な状況におちいっているのである。

IT企業というと、なんやかやネット周りのことをやってるんでしょというざっくりしたイメージしかなかったが、『メタバースとは何か』(岡嶋裕史著)を読んで理解できた。Facebookは100%、YouTubeを運営するGoogleは70%、Twitterは90%を広告収入に頼っている。ということは、利用者の滞在時間が売り上げに直結するのだ。IT企業の代表であるテックジャイアントたちは、人々の時間をどうやって奪うのか、その競争をしていたのだった。
そして、その最大の武器がSNSなのである。SNSは友だちをつなげるネットワークだと誤解していたが、本当は雑多なつながりを遮断して同質の人間を囲いこむ技術だったのだ。トランプ支持者がSNSに操られて連邦議会を襲撃したことはよく知られている。彼らは逮捕され裁判にかけられた今でも、あれは愛国的行為だったと信じて疑わない。気の合う仲間たちに囲まれてついつい長居してしまう心地良い空間がSNSなのである。
そういう意味ではYouTubeもSNSに分類される。強力なレコメンド機能によって、猫好きだと悟られようものなら一生かかっても見切れないおもしろ猫動画が数珠つなぎに提示され、中華の鍋振りテクニックに興味ありと思われたら明け方まで様々なチャーハン作り動画を視聴するハメになる。まるでフィルター付きのバブルに閉じこめられるようなものだ。
そして究極のフィルターバブルが、GAFAMが次の主戦場と見定めたメタバースなんだそうだ。メタバースとはサイバー空間における仮想世界のことで、現実世界に似せてはあるが少し違う。そこにはリアルにはつきものの面倒な手間や、嫌な思いや、争いといったものがない。利用者にとって完全に都合の良い世界なのである。
コロナ禍で世界的メガヒットとなったゲーム『あつまれ動物の森』は、コンセプト的にはメタバースに近いと言われる。そこには倒すべき敵や解かねばならない謎などの用意されたストーリーはなく、自由に遊べる広大な世界だけが用意されている。プレイヤーはただただ無人島での生活を楽しめばいい。
現実の釣りは大変だ。仕掛けを結ぶのは難しいし、ゴカイを触るのは気味が悪い、すぐ根がかりしてイライラする、待てど暮らせど当たりはこない。でも『あつ森』ではちがう。魚を釣り上げるまでに必要とされる忍耐や学習や熟練はカットして達成感だけ味わえるのだ。いいとこ取りできる夢の世界がメタバースなのである。くわえて『あつ森』には、ネットコミュニケーションにつきものの言い争いがない。そんな心地良さが皆の心をとらえたのだ。
それをより完璧かつ生活全般でしてしまおうと目論むのがメタバースで、仮想世界で働いてお金を稼ぎ、遊び、恋愛までできてしまう。目覚めている時間は食事と排泄以外ほぼそこで過ごすわけだから、究極の時間泥棒なのである。

えっ、それって問題じゃない、と思う人も当然いるだろう。
摩擦やストレスのないフィルターバブルに閉じこもるのは、他者のいない世界に暮らすようなものだから。
他者と向き合うのはめんどうだ。だから自分とちがう人間と出くわしたら、多くの場合、相手を避けようとする。それが最もエネルギーを使わなくてすむ方法だから当然だ。時に魔がさして攻撃に転じることもあるものの、勝っても負けても心に深い傷が刻まれてしまう。やっぱり避けた方が無難だったと後悔することしきり。でも回避か攻撃か、鎖国か戦争かの二択しかないなら社会は成り立たない。考えのちがう人たちでも、なんとか折り合って生きてゆくしかないのだ。
そこで鍵となるのが感情。異なる思想、信条、理屈を抱えていても、感情は共有できる。感情を以てすれば種をも越えたコミュニケーションだって可能だ。
現代人が抱える諸問題を考える際、ノラ猫というのは示唆的な存在だと思う。
日本では行政をまきこんでノラ猫の去勢・避妊活動が盛んだが、どうかやめてもらいたい。その本質は殺処分を防ぐと言うより、猫を完全にペットショップやブリーダーから買う“商品”にしようという活動でしょう。だって仮に生体売買が禁じられたとしたら、ノラ猫のご機嫌取り合戦が始まって、あっという間に殺処分などゼロになるだろうから。

ノラ猫は人間と住み分けて暮らす野生動物でも人間の完全なコントロール下にあるペットでもない、非常にユニークな存在だ。外飼いしていればフッといなくなってしまうこともざらだ。とても悲しいことだが、それはこらえねばならない。あの子らの意志で家に来て、互いの心が通じることで居ついてくれて、あの子らの意志で去ってゆく。相手を避けるでも屈服させるでも利用するでもない、感情を仲立ちとして共に生きることがそこに実現される。それは、あらゆることをコントロールしたいという欲望にとりつかれている人類にとって貴重な学びの機会だと思うのだが。
ノラ猫の糞尿や鳴き声に困っているというプレートを見るたび疑問に思う。ノラ猫は糞をするところも現物も見せない。そして、もはや“猫の恋”という季語を実感できる人がどれだけいるか。もし実際それらに困っているとしたら、それこそ地域で話し合うチャンスではないか。貴重なコモン(みんなの資源)であるあの子らをどうやって守り、どうとつきあってゆくのかを地域で決めるのだ。
地球温暖化を止めることは待ったなしの課題なのに、ほとんど進展がない。レジ袋を廃止しようが電気自動車に乗ろうが、経済構造の川下にあたる消費行動をチマチマ変えたところで効果はしれている。間に合わなければ意味がないのだ。本気で解決しようとするなら、川上の生産手段を労働者が自治・管理してコモン化するしかない、とは『人新生の資本論』で斎藤幸平先生が力説する点だ。ノラ猫問題はその先鞭をつけることになると思うのだが。
つい熱くなって脱線した。自他の感情と向き合うのはやっかいでも、先に挙げたようにそれはすばらしい能力でもあるのだ。そして人類と地球の未来はテクノロジーではなく感情にかかっている。他者のいない世界に閉じこもることは滅びにつながるゆえに、私はメタバースに否定的なのだ。
なーんて言ってみても、メタバースのヒマつぶし力はめちゃくちゃ高い。それを止める対抗策などあるのだろうか?
というわけで、ヒマと退屈についての考察『暇と退屈の倫理学』(国分功一郎著)を参照して、ヒマつぶしについて考えてみたい。


国分先生はヒマと退屈の関係を表にまとめて下さっているのだが、そこに行く前に「ヒマとは何か、退屈とは何か」言葉の定義をしておく。


 退屈     :昨日と今日を分ける事件がない状態(だからみんなニュースが好き!)
 退屈じゃない :興奮している状態(それが自分にとって良い事でも悪い事でも)
 ヒマ     :しなければならないことがない
 忙しい    :しなければならないことがある
※妄想     :いまココという現実から心が離れること


で、これがヒマと退屈の関係だ(表の構成だけ先生の案をお借りして、表内部の例などは私が勝手に書き入れた。また、当ページの技術上の問題から表が表示できないので項目として挙げる)。
 ➀ヒマ   × 退屈     ・坐禅 (妄想しない。区別もいらない)
 ➁忙しい × 退屈     ・無駄な会議/ルーティンワーク (ついつい妄想が出る)
 ➂忙しい × 退屈じゃない ・仕事が楽しい/過酷な労働 (妄想するスキもない)
               ※歩きスマホ 
 ➃ヒマ  × 退屈じゃない ・旅行(妄想はしない)
               ・映画、小説、SNS、メタバース(妄想に没入)
               ・不安や不満で頭がいっぱい(妄想にとりつかれている)  

➀の(ヒマ×退屈)から説明しよう。
とりたててしなければならないことがないうえに、事件がなにも起こらない状態だ。
人はそれに耐えられないから、この状態でいつづけることはあまりない。また、だからこそ20世紀以降の資本主義社会では文化産業(暇潰しのためのあれこれ)と呼ばれるセクションが巨大化したのである。
坐禅については後述する。

続いて➁の(忙しい×退屈)。
しなければならないことの最中なのに事件を求め、その願いがくじかれている状態だ。
いつ終わるともしれない無駄な会議や無味乾燥なルーティンワークがそれ。
そんな時、人の心は妄想を始め、いまココという現実とかけ離れた場所へ飛んで行く。アフターファイブの居酒屋や週末の遊園地そして、いっそ直下型大地震がおこらないかなぁなどとカタストロフを求めたりする。

次は➂の(忙しい×退屈じゃない)へ行こう。
しなければならないことがあり、それに集中している状態だ。
好きなことを仕事にしている人。逆にあまりにも過酷だったり危険な仕事に就いている人。
※で挙げる“歩きスマホ”は厄介だ。目的地まで歩くというしなければならないことの最中なのに、そのこととは別の気晴らしを楽しんでいるのだから。このマスと左下のマスの両方にまたがっている状態である。この表にはまだ改善の余地があるということだろう。

そして➃の(ヒマ×退屈じゃない)だ。
しなければならないことがなく、大いに興奮している状態。
旅行は日常の枠を破り新鮮な経験をもたらす。小説や映画を楽しみ美味しい料理を味わうことで、大いに感情が刺激される。フィルターバブルの繭の中で心地良い時間を過ごすのもここで、お客様を退屈させないよう様々な仕掛けが用意されている。
で、忘れてはいけないのが、不安や不満で頭がいっぱいの状態もこのマスに当てはまるという点だ。頭は熱くのぼせ次々と様々な妄想が起こりグルグルとループする。少しも退屈ではない。

ふぅ、やっと坐禅について話せる。
坐禅をしていれば、することがなくても退屈しない。昨日と今日を分ける事件を欲したりしない。ヒマな状態にとどまっていられるのだ。ご理解いただくために、先ほど挙げた妄想で頭がいっぱいの状態を考えて欲しい。それは、退屈はしていないけれど苦しい時間ではないだろうか。それとは正反対の状態なのである。
人の心は放っておくとすぐに妄想を始める。そして妄想が苦しみを生む。心がいまココという現実から離れて未来へ飛んで行くと不安という苦しみが、過去へ飛んで行くと後悔が、理想と現実の差へ向かうと怒りや嫉妬がわきおこる。
そして坐禅の目的は、心を“いまココ”という現実に置いて妄想を止めることにある。
最初の訓練としては、脚をがっちり組んで坐り体に動くことをあきらめさせてしまう文字通り“坐禅”が最適だが、徐々に行住坐臥あらゆる場面で坐禅してゆくのだ。
ブッダは言う「前を見る時も、後ろを見る時も、よく気をつけている。腕を曲げる時も、伸ばす時も、よく気をつけている。食し、飲み、噛み、味わう時も、よく気をつけている。大小便をなす時も、よく気をつけている。行き、住し、坐し、眠り、めざめ、語り、沈黙している時も、よく気をつけている(『大パリニッバーナ経』)」と。常にまっすぐな正身でいるよう姿勢を気をつけ、まっすぐな呼吸を心掛け、正しく歩き坐るよう注意する。妄想を止めるには、そうして常に現実世界にある自分の身体に心を寄り添わせておくことだ。
でもヒマなのに退屈しない理由は、常に気をつけねばならないという“せねばならないこと”があるからだけではない。
禅定の中では時の流れが日常とちがう。それについては以前書いたタコの時間を読んでもらいたい。ゆえに昨日と今日を区別する必要もない。ヒマをヒマとして味わうことができるのである。

というわけで、「どうやってヒマつぶしするのか」という問題を考えるにはまず、いま自分がどの状態にあるのか分析して自覚することだ。ヒマで退屈しているのか、妄想で忙しいのか、しなければいけないことの最中なのに気晴らしをしているのか。
そしてどうありたいのかを考える。その時、そこに坐禅という選択肢が入るとぐっと世界が広がることは間違いないでしょう?
そこまで言うならやってみるか、と決意なさったあなたにアドバイスを。
良い師匠につきなさい。そして良い師匠は探さなければ見つからない。昔の禅僧が全国を行脚したように。


2022年3月16日

前回、長崎の平和祈念像には問題があるとした件について。
突然ですがクイズを。日本で最も数が多いのは誰の銅像でしょう?
その通り、二宮金次郎と弘法大師や日蓮聖人など各宗派のお祖師方です。
ニノ金は学校の校庭にあって、石像から銅像に作り替えたところも多いようです。
そして寺に行けば決まって祖師像が建っています。私が子どものころ真言宗の寺院では、笠をかぶり錫杖を手にした行脚姿の弘法大師像を建立するのがブームでした。実家のお寺も例にもれず、立派な大師像を建て、盛大に除幕式を行ったことを覚えております。
このように宗教者とニノ金は別格です。では両者を除いた場合、最も多いのは誰でしょう?
残念! 坂本龍馬ではありません。龍馬は33体で次点なんです。
トップに輝いたのは松尾芭蕉。その数、全国で37体が確認されています。そこには歌碑などの文学碑を建てるという伝統が影響していると思われます。
ということで、銅像の歴史を紐解いてみましょう。

日本で「出来事を視覚的に後世に伝えようとする建造物」が作られるようになったのは意外に新しく、江戸時代からです。当時は石に事績を刻んだ碑の形で、史跡碑や名勝碑や人物顕彰碑そして文学碑などが盛んに建てられました。
それが明治になると、西洋式の人物銅像が広場などの公共空間に建てられるようになります。その目的は、人々の思考を誘導することにありました。プロパガンダ装置なのです。
だから明治から戦間期に建てられた銅像の多くは、戊辰以降の戦争で活躍した元勲や軍人が圧倒的に多かった。でもそれらは大戦末期の金属回収と戦後GHQの指示による撤去で消え、台座だけが虚しく残ることになります。と思ったら、すぐそこに平和を謳う像が建てられるのです。軍国主義から平和主義に変わっても、民衆教化のための彫像という本質は変ることはありません。
実は長崎の平和公園に建てられた平和祈念像を作成し売り込んだのは北村西望という彫刻家で、戦前は戦意高揚のための軍人像を盛んに作っていた人物だったのです。そういう人物が作った像だから問題だとおっしゃる方の意見も、「巨大な芸術作品の前で祈りをささげることなどできない」とおっしゃる川添猛神父のお気持ちも理解できます。

そして平和を願う新日本の象徴として盛んに建てられたのが裸婦像です。何ゆえ裸婦なのかという考察のないまま、その数はどんどん増えてゆきました。
アーティストであり芸術評論家である小田原のどかさんによると、明治以降の芸術家にとって人間を裸体で表現するのはあたりまえのことで、像によって何を表現するかなど考えていなかったといいます。
西洋美術史家によると、本来、西洋でもヌードの彫刻や絵を公衆の面前にさらすことはご法度だったのだとか。でも、それが神話や聖書の中の人物なら裸でも許された。逆に言うとヌードにはなんらかの象徴や寓意が込められていなければならないということです。
ところが戦後の芸術家たちもヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土における意義を考慮せず、なんの葛藤もへずに制作し続けてしまった。行き着いた先が、『ヌー道 nude』という裸の銅像を集めた本を出されたみうらじゅんさんが紹介するような、ホットパンツのみでトップレスの女性や、薄手のブラウスにアンダーレスの女性といった、裸婦ですらない、なんだかわけのわからない銅像です。それら意味不明の裸像が公共空間に溢れるようになってしまったのが現状なのです。
北村西望は祈念像を売り込む際に「奈良の大仏に倣って、できるだけ大きな男神像を作るべきだ」と言い、その像の裏側に「山の如き聖哲、それは逞しい男性の健康美」と刻みました。
社会が恐るべきスピードで変化し複雑化している現在、私たちは面倒でも常に思考や振舞いをアップデートをしてゆかなければなりません。だから早晩、ヌード像は町なかから消えることになるかもしれません。ひょっとしたら祈念像も。
小田原さんは『近代を彫刻/超克する』で述べておられます。否定され、壊され、引き倒される時にはじめて彫刻は発見されるのだ。彫刻は変わらない。それを見る私たちが変わるのだ。私たちは変われる、と。


私は、拝むという行為に対する意識は明治以前と以後で大きく変わったと思っています。明治維新というのは日本人が身も心も西洋人になろうとする運動だったわけですから、西洋人の意識や感覚に寄っていったわけです。
明治以前の日本人は、なんでもかんでも拝みました。朝起きればお天道様を、野に石仏があればそれが何かわからなくても拝む。神社を、田中に雷が落ちた跡に建てた祠を、しめ縄の張り巡らされた大木を拝む。
それに対し明治政府は神社合祀令を出しました。一町村一社を原則とし、小祠や淫祠を廃止・統合していったのです。その「淫祠=なんだか分からない神」という用語が本質を見事にえぐっています。なんでもかんでも拝むのはやめろと言うのです。
その結果、明治改元からちょうど百年後に生まれた私まで、見事その目論見にはまってしまったのですから恐ろしい。
私は子どものころ、年長者から「車に轢かれた猫や犬を見つけても、可哀そうだと思ってはいけない」と聞かされました。情けをかけると犬猫の怨念にとりつかれると言うのです。世は口裂け女やら地縛霊やらスプーン曲げといった心霊オカルトブーム真っ盛りでしたから、その言説はかなりのリアリティをもって頭に刻まれました。だから以降、私は轢かれた犬猫から目をそらすようになり、その習慣は坊さんになるまで続きました。だから今はせめてもの罪滅ぼしに、轢かれた猫を見つけるとタオルに包んで寺の敷地に埋葬するようにしております。
同様の心理をモチーフにしたのが、浅田次郎の小説『憑神』でしょう。淫祠を拝んだ下級武士が疫病神にとり憑かれるというお話です。これもまた、作者の意図は別として、うかつにわけの分からぬものを拝んではいけないという教訓を読者の心に残すことになりました。
それらは江戸時代とは全く違う心性です。その変化の大本が明治の西洋化にあるのです。
もちろん西洋化が全て悪いとは言いません。でもそれが、弱者から掠め取り害毒を押しつける「周辺化」を原動力とする資本主義経済において自らを優位に置くために「より速く・より強く・より効率的に」を目指して行われたことならば、再点検してみなければなりません。

西洋のように強くなろうと必死だった明治政府は、日本に欠けているのは彼らのような一神教だと考えました。そこで国家神道なるものをでっち上げた。それ以外は拝めなくしたのです。
キリスト教者にとって拝むとは、いかに純粋に唯一の神を信じているのかを表明することです。ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が被爆地長崎を訪れた際、平和祈念像は異教の偶像だという理由で平和公園に立ち寄らなかったことはご存知かと思います(平和祈念像自体が抱える問題については別の機会に述べる)。また仏式の葬儀で、弔問にいらっしゃったクリスチャンの方々が式中は外に出てしまいお焼香もなさらないこともよくあります。それは彼らの考えですから私がとやかく言うことでありません。でも、これは自分も含めてですが、八百万の思想を知り、クリスチャンでもない人が、彼らに倣うかのような心性を抱いているという点については考えてみるべきだと思います。

そこで、なんでもかんでも拝むという行為を仏教の視点から実践するとこうなるという例をあげておきます。
実を言うと、私は『法華経』というお経はいまだによく理解できていません。聖徳太子が注釈書をものされようが、道元禅師が「諸経の王」と激賞なさろうが、どうにも分からないのです。
ところが『法華経』に登場する常不軽菩薩という仏様は、心の底から尊敬、いや敬愛いや……拝んでおります。
常不軽菩薩は、誰に対してもただただ礼拝する。ののしられようが、石をぶつけられようが相手を拝む。「私はあなたを深く敬います。決して軽んじたり、見下したりしません。なぜならあなたの心の底に仏性があるからです」とおっしゃって。
臨済宗円覚寺の管長・横田南嶺老師はおっしゃいます「この人生もただ礼拝行なのだ。咲く花にも散る花にも手を合わせ、誰に会っても手を合わせる心で接する。何も得ず、何もなくさず」と。
私もそうありたいと願い、日々格闘しておるのですが……なかなか。