2021年3月14日

【食事を苦痛に感じる時代】

道元は“食事五観の偈”を広めただけでなく、食べ方の心得である『赴粥飯法』と料理の心得『典座教訓』をものし、その二冊は日本人の食事作法に影響を与えた。
今、その食べ方に問題が起きている。いきなりそう言われてもピンとこないと思うので質問します、あなたが思う良い食べ方とは?
新型コロナのせいで黙食が推奨されてはいるとはいえ、みんなと楽しく会話しながら食べるのが良い食べ方だと思う人がほとんどだろう。でもそうした意識が強まり過ぎて、楽しみであるはずの食事を苦痛に感じる人まで出てきてしまったのである。
たとえばランチメイト症候群と呼ばれるものがそうだ。二十一世紀に入ったころから、学校や職場でポツンと食事することに大きなストレスを感じる人が増え始めた。ひとりで食事をするイコール友だちがいないと受け取られてしまうからだ。そこで他人に見られないよう隠れて食べる。極端な例がトイレに籠って食べる〝便所飯〟だ。
あるいは二〇一五年に東大研究チームが発表した、「弧食(ひとりで食事をする)の高齢者は、ウツになるリスクが男性で2.7倍、女性で1.4倍に高まる」という研究にも注目したい。申し訳ないが、この結論自体に大した意味はない。ひとりで食事をすることとウツの間に因果関係などないのだから。この研究は、孤立してしまった男性は問題をかかえやすいという事実を別の角度から検証したにすぎない。むしろ興味深いのは「孤食はウツに結びつく」と考えてしまう研究チームや社会のメンタリティの方だ。食事は楽しく会話しながらというドグマが内面化され、強迫観念にまで高まっているのではないだろうか。
そうなってしまっては、目の前の料理が出来上がるまでにどれだけの手間がかかっているのか、その食材がどんな来歴を背負っているのかよく想像するどころの話ではない。だから問題なのである。
物事を正しく見るためには、歴史を補助線として使うのが効果的だ。というわけで和食の歴史を紐解くことにしよう。


2021年3月7日

【食事は社会を映す】

『天台小止観』という坐禅の解説書では、坐禅の事前準備として「調食・調眠・調身・調息・調心」の五つをあげている。
坐る前にまず正しい食事をし、正しく眠り、正しい姿勢と呼吸そして正しい心の置き方を身につけよと言うのだが、五事の最初に挙げられていることからも食事がいかに大事かが分かる。
というわけで、これから正しい食事とは何かについて考えてみたい。食事について考えるなら作り方と食べ方の両面からアプローチせねばならぬのが道理と分かっているが、とりあえず食べ方についてのみ論じることにする。


正岡子規は、数えの三十六で亡くなった。
結核菌が脊椎に入りこんで骨が腐り、背中や尻に穴があいて膿が流れ出す激痛に、子規は「たまらんたまらんどうしやうどうしやう」と涙を流す。そうして両の肺がほぼ空洞になって歯茎に滲む膿をぬぐいながらでも、子規は食うことをやめなかった。
これは死のちょうど一年前、明治三十四年九月十九日の食事である。

  朝飯  粥三碗 佃煮 奈良漬
  昼飯  冷飯三碗 堅魚のさしみ 味噌汁さつまいも 佃煮 奈良漬 梨一つ 葡萄一房
  間食  牛乳五匁ココア入 菓子パン 塩煎餅 飴一つ 渋茶
  晩飯  粥三碗 泥鰌鍋 キヤベツ ポテトー 奈良漬 梅干 梨一つ

その日、弟子の長塚節から鴫三羽が届いた。すると、あくる日の献立はこうなる。

  朝飯  ぬく飯三碗 佃煮 なら漬
  昼飯  粥三わん 焼鴫三羽 キヤベージ なら漬 梨一つ 葡萄
  間食  牛乳一合ココア入り 菓子パン大小数個 塩煎餅
  晩飯  与平鮓二つ三つ 粥三碗 まぐろのさしみ 煮茄子 なら漬 葡萄一房
  夜食  林檎二切 飴湯

あきれたことに三羽とも一人でたいらげてしまった。長塚は、子規と母八重と妹律の三人分のつもりで贈ったのだろうに。
子規本人が「食事は相変らず唯一の楽しみであるがもふ思うやふには食はれぬ。食ふとすぐ胃腸が変な運動を起して少しは痛む。食ふた者は少しも消化せずに肛門へ出る」と言うように、内臓はほとんど機能していない。それでも「さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または粥の上にかぶせて食ふ。佃煮も飯または粥の上に少しづつ置いて食ふ。歯は右の上の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ」と、食い続ける。
そして、ロンドン留学中の夏目漱石に宛てた手紙では「僕ハモーダメニナッテシマツタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ……」と書いたあと「倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」と訴えている。
寝たきりになって三年。病床からながめる小さな庭がすべての子規にとって、三度の食事は世界を見聞きし世の中と通じる手段だった。食には社会が滲み出してくるのである。


そうした食の社会性にいち早く気づいたのは、道元というお坊さんだった。道元は食事の前に唱える言葉を紹介し、広めた。その『食事五観の偈』は最初にこう唱え、念ずる。

   功の多少を計り、彼の来処を量る。

目の前の料理が出来上がるまでにどれだけの手間がかかっているのか、その食材がどんな来歴を背負っているのか、よく想像しなければならないと言うのだ。これこそが、私たちが食前に決まって唱える「いただきます」という発声の始まりなのである。


2021年2月28日

ぎっくり腰になりました。健康のために始めたラジオ体操中。しかも第一で。せめて第二ならまだ格好がついたのに。
痛くて寝返りがうてない。朝になっても起き上がれない。壁を伝い、杖をつきつき整形外科へ行きました。でも全く良くならない。そりゃそうです、痛み止めと湿布じゃこの激痛に太刀打ちできるはずありません。
こりゃひと月は寝たきりかと、泣き伏していたところに朗報が。一発で治る薬があると。半信半疑でしたがこちらは藁にもすがる思いです。落ち武者のような歩みで件のクリニックに出向きました。で……本当に治ってしまったのです。
治療はハイドロ(筋膜)リリースという注射を打っただけ。なんでも痛みは、傷ついた組織から出たネバネバ物質で筋肉が癒着してしまうから起こるのだとか。そこで患部に生理食塩水もしくは乳酸リンゲル液を注射して洗い流すイメージなんだそうです。
ウソではなく、注射したとたんパッと立ち上がれました。即効性があり、しかも生理食塩水なので副作用の心配もない、さらに一本五百円くらいと値段も安い。これは画期的治療法です。
肩こり、寝違え、むちうち、腱鞘炎、ヘルニアなどの神経痛にお悩みの方はお試しになることをお勧めします。

※痛みは劇的に改善しますが、ストレスなく歩けるようになるには一週間から十日はみておいて下さい。


2021年2月21日

質問「お塔婆って何ですか? どんな意味があって建てるのですか? の続き」

回答「前回は柱(塔婆)を建てるという行為に込められた意味についてお話しましたが、今回はお塔婆のお塔婆たるゆえん、板に入るギザギザの切れこみの意味についてお話します。
ちなみに塔婆はその切れこみによって、下から四角形、丸、三角形、半月、宝珠と、串に刺したおでんのような形をしています。

ご存知のように、卒塔婆とは仏塔を意味するストゥーパの音写です。
仏塔の起源は、遊行に出たブッダの代わりにその髪を納めて拝んだ塔だと言われます。そして涅槃後は遺骨を納めた塔が造られました。そのように塔とは空間的または時間的な隔たりを飛び越えてブッダにまみえるための装置であって、墓標というよりブッダそのものでした。
やがて『涅槃経』が成立するころになると“自らが仏塔のようになるべきだ”と説かれるようになります。そうやって舎利を拝むことから内なる仏性を発現させるための実践重視へと意識が変化するのにともなって、仏塔は修行のシンボルとなっていったのです。

一方、真言宗を開いた空海は“多宝塔”なるものを創出します。
多宝塔とは宇宙を意味する五輪を立体的に表現すると同時に、宇宙と一になる悟りに到った人を表した塔です。元になったのは、密教経典『大日経』の“自らが五輪となることを観想せよ”という実践行ですが、五輪と悟りの姿と仏塔とを結びつけるという発想は空海のオリジナルでした。
そして多宝塔を石塔に写したのが五輪塔です。ちなみに多宝塔と五輪塔との相似ですが、一階部分が方形、亀腹と二階円筒部分が円形、屋根が三角形、二階屋根下の組物が半月形、相輪が宝珠形にあたります。
やがて鎌倉時代以降から、悟りのシンボルであった五輪塔が墓標として建立されるようになります。更にそれを板の平面におきかえたのが五輪塔婆なのです。

というわけで、インドでも日本でも仏塔とは心を鍛える実践修行のシンボルでした。
真言宗中興の祖である覚鑁は、五輪塔に行者の身体を重ね合わせた図を示しています。それをもとに塔婆を読み解いてみましょう。
四角形は五輪では地にあたり、身体では結跏趺坐を組んだ行者の脚に相当します。まるで大地のように揺るがぬ禅定です。外一切善悪の境界において心念おこらざるを坐、内自性を見て動ぜざるを禅となす。
丸形は五輪では水にあたり、身体では布袋和尚のような太鼓腹にあたります。呵呵大笑が理知の壁を溶かして、自我や正誤と分けごとをする癖を和らげる。そんな澄んで平らかな心には相手の月(慈心)が映りまたそこには自分の月も重なって見える、水月の道場が現れてくる。
三角形は五輪では火にあたり、身体では燃えるような発心を抱く胸にあたります。修業には常に初心で臨む。
半月は五輪では風にあたり、身体では何事もどこふく風の涼やかな顔。風吹けども動ぜず天辺の月とばかりに、毀誉褒貶に惑わされないこと。
宝珠は五輪では空にあたり、身体では空っぽの頭にあたります。考えること、分けようとする思いが止む時、廓然無聖、秋の空のように澄んでどこまでも高く広々とした境地に至る。
このような小難しい理屈は忘れても、涼やかな顔、水のような腹とイメージすることは容易いでしょう。そんな身体を目指して修行する誓いであり手引きとなるのが、お塔婆なのです」


2021年2月14日

質問「お塔婆ってどんな意味があって、何のために建てるのですか?」


回答「お塔婆って何ですか?と質問されて、故人への手紙ですと答えるお坊さんが多いと聞きます。
たしかにお塔婆は表に宛名(戒名)があって裏には差出人名(施主名)がある、形式は手紙と同じです。うまい回答を考えたなと思うものの、それだけで終わらせてしまってはもったいない気がします。お塔婆には手紙的要素もありますが、実践修行の誓い及び手引きという意味合いも大きいのですから。
では、手紙的側面からお話しましょう。

塔婆は木の板棒ですから、柱の一種と見ることができます。だから塔婆を建てるとは、柱を建てるという行為と重なるのです。
そして古来より神事で重要なのは、柱を建てることでした。
諏訪大社のお祭り“オンバシラ”がまさにそれ。氏子たちが柱にまたがって急な坂を滑り落ちる“木落とし”が見せ場となっていますが、祭りの核心はそうやって長い距離を引いてきた柱を社の四方に建てることなのです。
あるいは伊勢神宮の本殿の床下には“心の御柱”という小さな柱が建っていると言われます。それこそが真の御神体で、表に見えている鏡や幣以上に大切なのだと。
柱は“はし”に通じます。橋が端と端をつなぐように社に建てた柱には天と地を、人と神をつなぐ働きが期待されるのです。
同じく塔婆を建てるという行為にはこの世と浄土、施主と故人をつなぐという意味が込められていると考えられます。確かにそれをして手紙と捉えることもできるでしょう。
ただ……お塔婆はただの板棒ではありませんよね。上部にギザギザと妙な切れ込みが入っています。あれこそがお塔婆のお塔婆たる所以なのです。という訳で、もう一つの意味については次回お話ししましょう。